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◆-青木氏の官位と職位の研究

No.424
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青木氏の官位と職位の研究
副管理人さん 2007/03/20 (火) 20:08
青木氏の官位と職位

645年の大化の改新で発祥し5代続いた皇族賜姓青木氏(647)5家5流24氏と、藤原秀郷流青木氏(940)直系1氏、直流4氏、支流4氏、116氏と、及び第3の青木氏(室町末期、江戸初期、明治初期の3期)の全ての青木氏が、各種の朝廷官位と江戸幕府の職位に着いた内容は次ぎのとおりである。

記載条件

これ等は史実として書籍に記載されているものである。
その期間は大化期から江戸期までのもである。
江戸中期頃に朝廷に申請して取得した官職で、主として個人として青木氏24氏と116氏に与えられた氏一代限りの期間の名誉官位と守護職は含まない。


青木氏の守護の職(守)(大化から江戸期まで)

摂津守、伊豆守、豊前守、甲斐守、尾張守、伊勢守、信濃守、近江守、美濃守、下野守、武蔵守、遠江守、駿河守、出羽守、美作守、和泉守、志摩守、紀伊守、伊賀守、出雲守、三河守 筑後守 出羽守 

以上21の守護職である。

注釈
以上の守護職の官位は代々の世襲期間の官職である。
これ等は赴任先の期間限定を含み、統治支配及び自領地と守護の職は一致する。


青木氏の朝廷からの官位官職(大化から江戸期まで)

掃部介、玄蕃允、民部尉、別当蔵人、刑部卿、民部少輔、左衛門尉、右衛門尉(清、小)、八百之丞、従五位下、式部少輔、治部少尉、所衛門尉、左衛門佐、三位、従三位、従三位下
左兵衛府、右兵衛府
以上19の官位官職である。

爵位
諸王以上の位
明位(みょうい) 2階級(1位、2位)(大、広) 計4階級
浄位(じょうい) 4階級(1位、2位)(大、広) 計8階級

諸臣以下の位
正位(しょうい) 4階級(各階1位、2位)(大、広) 計8階級
直位(じきい)  4階級(各階1位、2位)(大、広) 計8階級
勤位(ごんい)  4階級(各階1位、2位)(大、広) 計8階級
務位(むい)   4階級(各階1位、2位)(大、広) 計8階級
追位(ついい)  4階級(各階1位、2位)(大。広) 計8階級
進位(しんい)  4階級(各階1位、2位)(大、広) 計8階級
 
 

注釈
賜姓青木氏は浄位である。(伊勢青木氏は最終は浄大一位 他青木氏は浄広三位)
藤原秀郷流青木氏は進位である。
以上の官位は最高位で天皇に拝謁が出来て会話が出来る賜姓青木氏に与えられた従三位と、藤原系に与えられた従五位下までである。
これ等の皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏の2つの青木氏には、その本来の職務の「天皇護衛」から侍に与えられた官位が殆どである。
皇族賜姓青木氏の伊勢青木氏は左兵衛府、近江青木氏は右衛門尉、信濃、美濃青木氏は左右衛門尉の官位が目立つ。

青木氏の江戸幕府の職位

玄蕃頭
小普請
勘定組頭
勘定奉行支配
御勘定
御書院蕃
御書院蕃組頭
御納戸方
大蕃
大蕃組頭
小十人頭
御広敷番
小姓組
小姓組頭
御台所入
鷹匠
鷹匠組頭
宝蔵書
主計頭
鉄砲箪筒奉行
御広敷番頭
評定所儒者
御目付け
佐渡奉行支配組頭
御賄頭
御幕奉行
勘定奉行
御裏門頭
定火消
桐間番
奥御祐筆
御小納戸
広沢判官代
足利判官
陸奥判官
矢田判官
西の丸御口

以上37職位である。

注釈
以上が大名を除く江戸幕府の御家人の職位であるが、殆ど世襲職である。途中で家が途絶えたものもある。
俸禄の石高は平均的には100石から500石位の間で250石位である。
1000石高を超えるものは少ない。最高で勘定奉行であろう。
(大名は5人)

総評
青木氏の御家人であるが、皇族賜姓青木氏や藤原秀郷流青木氏らの古い青木氏としては、「下克上や戦国時代」などで狙い撃ちにされて滅亡に近い状態になったが、何とか子孫は生き延びさして遺して、再び、直系は衰退したが、分流一族は本家筋を継ぎ、室町末期からここまでの立場になった。
それこそ戦いに明け暮れた死に物狂いの果ての生残りである。

藤原秀郷流青木氏の一門も鎌倉幕府樹立で各地に定住していた氏は離散した。
しかし、何とか鎌倉幕府の御家人に成って生き延びたし、頼朝の「本領安堵策」で2氏の青木氏は各地で息を吹き返して郷氏や商人となって生きた。

この様な状況の中で末裔は上記の官職を獲得しているのである。
そしてお陰で現在の我々はここに生きている。

殆どは、各地の郷氏、郷士になりその職位官職の力と流通筋を活かして、各地の同族が連携してシンジケートを構築して名主や庄屋、地主、大問屋、大廻船業などの流通職に成っているのが多い。
多くの他氏に較べて、上記2氏の青木氏の特長でもある。

江戸時代に大豪商と言われた松阪、松前、堺、摂津、近江、博多商人の殆どは、元は武士で自領を持つ国司や守護職や大郷氏や大郷士(名主や庄屋や地主)である。青木氏はこれに当てはまるもの全てである。

特に、皇族賜姓青木氏は、その自領地の守護地であった関係から、松阪と近江と摂津と堺の豪商に成っている。そして、その氏一族がこぞって本家の商いに取り組んでいる。

藤原秀郷流青木氏は、その赴任地の24の土地の殆どには、必ず廻船問屋や土地の産物を卸す豪商が存在する。

この特徴的な事が「伊勢の賜姓青木氏と紙問屋の紙屋長兵衛」の2つ顔を持って信長と戦い駆け引きした史実(天正伊賀の乱)がある。
これを基にした歴史小説「名張の小太郎」と言ものがある。歌舞伎にもなった事もある。又、NHKの大河ドラマでジェームス三木氏脚本でも3歴史小説にも出て来る。
(詳細はインターネットで検索されたし)

中には、8代将軍吉宗のとき、紀州藩の飛地領の伊勢松阪で、皇族賜姓青木氏が「二足の草鞋」策で営んでいた「紙問屋」の大豪商「紙屋長兵衛」の一族の者が、紀州藩から請われて、江戸に出向き、「勘定奉行」を仰せつかり「享保の改革」を実行した履歴もある。(その後、末裔は江戸に定住した)

江戸幕府の職位では、印象としては、何故か判らないが、勘定方と小姓組とその組頭と大番組とその組頭の職位が多い気がする。
勘定方に付いては上記の2氏の豪商の所以であろう。
幕府からその商才を買われて請われて将軍毎に任官したと見られる。
小姓と番頭は想像であるが、元は天皇の護衛役を担っていた事から代々世間で信用されていた事もありうる。

名誉職に付いては、5家5流の皇族賜姓青木氏の子孫は江戸時代中期ごろから、朝廷に申請して一代限りの官位を受ける事が出来た。
このために主に問題が起こらない様に朝廷の天領地であったところの官位を与えた。
中には、何度もダブって与えていることも見られる。そのことで争いが起こっている。

伊豆守や紀伊守や伊賀守や、伊勢を除く近江守、美濃守、信濃守、甲斐守の4家の元皇族賜姓青木氏の「天領地」であったところの官職を実際は統治していない「名誉職」だけのものとして重複して与えたものが目立つ。
それ程に朝廷は困窮していた事を意味する。
特に、各大名のお抱え医者や学者や社会から尊敬される職業の者に一代限りに与えた。大大名などは挙って家臣の名誉官位を申請したのである。
当然に与える名誉官位は直ぐに無くなり、何度も重複する名誉官位を与えたのである。

青木氏や藤原氏の子孫には「守」などの高位の官位を与えた。
江戸時代には1千石以上の俸禄を得ている青木氏や藤原氏の家柄を持つ御家人や旗本が競って名誉職を獲得した。
当時は、朝廷の生活状況は、江戸幕府から締め付けられて、家の壁を直す事が出来ない程度に著しく困窮していた。
だから、金品の授受で名誉職を与えてこれを補った。
これを全て江戸幕府も黙認した。

以上の様に、青木氏の末裔は死物狂いで子孫を遺す為に頑張った事を、このデータは物語ると考える。
決して、今ある自分はこの歴史の中で生きている事に対して、我々子孫は先祖に対して、感謝を忘れてはならない。
そして、次の子孫(子供)をその感謝の表現として大切に遺そうではないか。
このデータはそれを証明するものとしてまとめた事を理解されたし。

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