青木氏のルーツ & 雑学研究室

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◆-千葉の青木アキノリさん

No.1062
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千葉の青木アキノリさん
副管理人さん 2007/09/25 (火) 09:45
千葉の青木アキノリさん。今日は。

雑談掲示板からこちらにご回答を移動させます。

では、早速ですが、
青木氏ルーツはそのルーツを分けると2つのルーツに成ります。
一つは、皇族賜姓青木氏です。
天智天皇から光仁天皇の5代の天皇の第6位皇子が臣下して侍となり、青木氏を直接天皇から賜姓を受けた氏です。5家5流24氏あります。

もう一つは、この方式を朝廷から許可を得て藤原秀郷の第3子が藤原氏を守る為に侍となり、青木氏を名乗った者です。藤原秀郷流青木氏です。直系1氏直流4氏支流4氏の主要9氏116氏あります。
これ等二つのルーツの氏は藤原鎌足の藤原氏の母方で全て繋がっています。

そして、この青木に関して、光仁天皇の後の2代後の嵯峨天皇期に、この第6位皇子を青木氏から源氏に変名し、そして、弘仁5年に青木氏は皇族身分の者が名乗れる氏とする詔を発しました。
これが、全ての国民が姓を持つ明治3年の苗字令まで原則として守られました。

しかし、この間、3時期に於いてこの詔の禁令が守られない時期がありました。
室町期の下克上と戦国期の第1期、江戸初期前後の混乱期の第2期、そして、明治初期の苗字令の時期の3つです。
天皇家に次ぐ氏でありますので、氏家制度の時代ですから、政治の混乱期に、家柄を良く見せるために出世したものは、この青木氏を寺に高額の金品を出して、系譜を偏纂してもらい、青木氏の血縁者であるが如くに搾取偏纂しました。(当時、寺は戸籍簿の役目を担っていた)
{例えば、同じように徳川氏(源氏一族を搾取)や豊臣氏(皇族一族を搾取)もこの搾取偏纂です。}
明治時期は氏と姓を持たない庶民は法的に認められた行為であるので、金品のある者は寺に家系を造って貰い政庁に届けました。
(真のルーツ調べ、はこの時期と事記の乱れた事を知らないと判断が難しいのです。)

しかし、そこで、この青木氏には矛盾があります。

一つは土地柄です。2つのルーツの青木氏には高位であるので、青木村を特別に形成して居ますので、土地柄がはっきりしています。
二つ目は、この2氏は高位であるので必然的に、藤原氏の特別な場合を除き、高位のものしか入信できない「浄土宗」でした。浄土宗はこれ等の土地柄の限られた所にしかありませんでした。
三つ目は、自分の一族だけを奉る浄土宗の独自の菩提寺を持っていました。(青木氏が住職)
四つ目は、平安期からの系譜を保持しています。本家筋ではその歴史は1000年は越える氏ですし、その宗家筋はあらかたはっきりとしています。
五つ目は、本家筋は浄土仏壇とか、そのルーツを示す伝統品を保持しています。
六つ目は、特別な氏であるのでそのルーツが大方はっきりとしていますので、必然的に家紋にも29の家紋に限定しています。基は皇族賜姓青木氏であれば、綜紋は「笹竜胆紋」、藤原秀郷流青木氏で有れば「下がり藤紋」で、夫々には特別の条件が附帯しています。

従って、この第3青木氏にはこの条件まで合わせることは不可能ですので、矛盾が生まれるのです。
特に明治以降の青木氏に関しては確実に適合していません。
この時期が最も青木氏が増えた時期なのです。上記の特別の土地柄に住んでいた者が成っている傾向があります。

室町期の青木氏は当時は出世した下級侍は家紋や姓など保持していませんでしたので、何らか遠い縁から、引き出すか、買い取るか、奪い取るか、遠い血筋の縁組をするかして名乗ったのです。
公にこの為の戦いを許可得て勝った青木氏もあり、この青木氏は最も大きく末裔を伸ばしています。

江戸初期前後は、出世するには家柄が無くては殆ど封建社会でしたので無理でした。そのために家柄を作る必要があり、金品のある者が、青木氏や有名な高位に繋がる一族の姓を名乗り如何にもその末裔であるが如く名乗りました。この時期は最も家紋が増えた時期です。

この第3の青木氏としては、室町期からの400年という長い歴史を持つ青木氏である事には違い有りません。ただ、ルーツとしてのこの2つ青木氏以外の江戸中期以降の青木氏に関しては、発祥としての点では、1365年という確定した歴史は持たないと言う事だけです。

最たるその例は徳川氏の如くです。

従って、この3つの青木氏に関する内の第3番目の青木氏は、そのルーツの点で3期の3つに分かれるという事に成ります。

御家は、この6つの条件に合致することがどれだけあるかで有ります。
それは、善勝寺の菩提寺にその経緯が残されていると見られます。
明治以降の系譜に付いては、何処でもあることですので、特別な検証証拠とはなりませんので、善勝寺にてお調べになる事をお勧めします。

特に、御家の青木さんには、三つ柏の紋どころを副紋扱いとしている所だけにあり、この三つ柏紋の経緯の確認が必要と見られます。
この三つ柏紋の意味が判れば、青木氏の29紋の一つと成りますので、御家のルーツはこの善勝寺ではなく、基は江戸前期前後には別のところにあったことが覗えます。

この一点に掛かっています。多分、予測として、副紋と旗頭を持つ御家であれば、江戸初期前後の350年−400年くらいのルーツを持つ青木氏であると見られます。
ご本家には多分何らかの系譜以外にその証拠となる納得できる特別の古物品があると見られます。(系譜は一般的にはルーツの証拠には成りません。作ろうと思えば徳川氏のように何とでも作れます)
これ等に関する歴史的な資料は研究室や家紋掲示板や地名地形データーなどにたくさん載せていますので参照して下さい。

長いレポートですので、ゆっくりと時間を掛けてお読みになると、青木氏に関する全般的な事や歴史的習慣や先祖の苦労がなどがお判りになり、お調べに成る手段と判断の基となるでしょう。
現在の常識や定式では歴史のルーツ調べは一種異なり困難ですので、ご質問が有りましたらご遠慮なくこの研究室のサイトにお訪ねください。

では、御家はそれなりの長い歴史を持つ御家と見られますので、先ずは過去帳のところをお調べください。判らない所が有りましたら、相談をしながら検証して行きましょう。
研究室の投稿にもありますように、他の青木さんもその様にして調べて行きました。

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