青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.444
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福岡の青木さん
副管理人さん 2007/04/11 (水) 20:52
青木新二さん 今日は。

青木新二
2007/04/10 19:26 - パソコン
  今晩は!何時もお世話になります。
宗派は浄土真宗でしたが、過去帳も調べてみるつもりです。あおき

提供されている情報では二つに成りますが、この二つでは確定は出来ませんのです。

先ず、一つは家紋が下がり藤紋です。
二つは浄土宗です。

この二つからは藤原秀郷流青木氏ですが、下がり藤紋は藤原四家(式家、京家、南家、北家)のうち北家のうちの藤原秀郷の一族の9氏が使用する家紋です。
この内、秀郷の子供の千国を始祖とする兼光系の護衛役の藤原秀郷流青木氏もこの家紋を使用しています。
この家紋はこの秀郷一門の綜紋です。
藤原秀郷流青木氏は116氏もありますので、この綜紋の家紋を維持している事は1100年もの間に家紋掟で変紋が起こらなかったと言うことは実に珍しい事です。

そして、この下がり藤紋は丸付き紋は有りません。副紋方式を使っています。藤紋の真ん中にその副紋を書き入れますが、それも大変珍しいのです。大抵は青木氏119氏にも及ぶように変紋を余儀なくなった氏が殆どです。

したがって、この変紋と副紋を使わなくて下がり藤紋だけである事に対する確認が必要です。
というのは、鎌倉幕府期に藤原一門全ては失職しましたし、高位の氏として狙い撃ちにされた下克上や戦国時代で男子を失うのが普通ですので男系で来られた確率が疑問なのです。

主要9氏の直系1氏と直流4氏と支流4氏の主家は副紋を使って家紋を維持しました。後の116氏は変紋をしました。

現在確認されている9氏は副紋を使用しています。
そこで、この主要9氏の存在が他にもあった事に成りますので、この9氏の末裔とりますのでこの何処の藤原秀郷流青木なのかを確認する必要があります。

浄土宗はこの高位の藤原氏一門や賜姓青木氏が入信できる特別の宗派でした。
この青木氏の最大要件ですので、藤原秀郷流青木氏であると推定します。

さて、何処の藤原秀郷流青木氏であるのかが判れば検証されるのですが。
24地方に分布していますので何処の青木さんかと言う事に成ります。

そのための情報が必要です。

下がり藤紋の綜紋を家紋として、浄土宗としていますので、菩提寺が何処にあるのか、昔の土地が何処なのかはお判りになると思います。
又、仏壇は浄土仏壇か、何かステイタスに成るものをおもちと思いますが、江戸前期の居所は、副紋を使用していないか、本家筋はどこに、などが判りませんか。

下がり藤紋を使用しているとなると、116氏の青木氏と成りますと主要9氏に成りますので、室町か鎌倉期には武蔵の国の入間か下野の国となる可能性があります。

何かわかりましたらまたお便りください。お待ちしています。
No.445
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Re: 福岡の青木さん
青木新二さん 2007/04/14 (土) 18:20
この度はお世話になります。
何をどう聞けば良いのかあたふたしてしまい申し訳ありません。
父や母は亡くなってしまい親類も何処にいるのか分かっていません。
兄妹にも色々と聞きましたが、これがなかなか、、、
今度、戸籍と除籍謄本を取り寄せて確認したいと思っています。
私の家系が何処から来たのか、また、ルーツだけでも知りたいと思いメールした次第です。
何か分かりましたら、もう一度聞かせてください。あおき
No.446
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Re: 福岡の青木さん
副管理人さん 2007/04/14 (土) 19:21
>この度はお世話になります。
>何をどう聞けば良いのかあたふたしてしまい申し訳ありません。
>父や母は亡くなってしまい親類も何処にいるのか分かっていません。
>兄妹にも色々と聞きましたが、これがなかなか、、、
>今度、戸籍と除籍謄本を取り寄せて確認したいと思っています。
>私の家系が何処から来たのか、また、ルーツだけでも知りたいと思いメールした次第です。
>何か分かりましたら、もう一度聞かせてください。あおき
福岡の青木さん 今日は。

実は下がり藤紋が現在でも家紋でありますと、藤原秀郷流青木氏の116氏の宗家の可能性があり、このことから、主要9氏の直系1氏の可能性が残っていて大変貴重な情報でありますので詳しいことを私の史料としても知りたいと思っています。

皇族賜姓青木氏は笹竜胆紋ですが、総宗本家の伊勢青木氏と残りの宗家4家4流の笹竜胆紋の綜紋の青木氏が存在することは確認出来ていますのですが、藤原秀郷流青木氏の宗家はまだ確認出来ていません。かなり近い直流4氏の青木氏は確認出来ていますのですが、直系1氏の存在が掴めていません。
直系1氏は必ず下がり藤紋を現在も保持していると見ています。多分、その場合は本家筋は埼玉の入間かその付近に存在していると見ています。(宗家の分家筋は飛散して確定できませんが。)

以上の理由がありましてお聞きしています。

是非どんな事でも判りましたらお聞かせください。お待ちしています。
No.447
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Re: 福岡の青木さん
青木新二さん 2007/04/17 (火) 17:18 [ メール ]
私も中途半端な状態ですから、近い内に詳しく調べて見たいと思ってます。
戸籍謄本を取って見て、父の故郷が鹿児島の何処かを調べ、その戸籍または除籍謄本を取り寄せて見ようと思っておりますが、戒名や法名、位牌等からも調べる事が出来ますか?
取りあえず一つずつ確認しながら調べてみます。ありがとうございました。あおき
No.448
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Re: 福岡の青木さん
副管理人さん 2007/04/17 (火) 20:00
>私も中途半端な状態ですから、近い内に詳しく調べて見たいと思ってます。
>戸籍謄本を取って見て、父の故郷が鹿児島の何処かを調べ、その戸籍または除籍謄本を取り寄せて見ようと思っておりますが、戒名や法名、位牌等からも調べる事が出来ますか?
>取りあえず一つずつ確認しながら調べてみます。ありがとうございました。あおき

福岡の青木さん 今日は。
早速ですが、役所の戸籍謄本からは何も出ません。
というのは、戸籍謄本は明治初期からのもので、それ以前(江戸以前)は戸籍謄本に変わるものとしてお寺が行っていました。

色々な家に関する証明的なものはお寺が行っておりましたので、菩提寺のお寺さんに「過去帳」というものがあります。
この過去帳を見れば御家の先祖の人たちの事が全て判ります。年代的にもそのお寺が古ければ古いほどに遠い先祖の事が判ります。

そこで、浄土宗という事とですので、その菩提寺がどこかを先ずお調べになる事です。
次に、鹿児島には藤原秀郷一門が朝廷の命で赴任したことは有りませんので、鹿児島に菩提寺が先ずあったとすれば、そこで最も古い先祖の時代(江戸初期くらいまでは確認出来るのでは)までを把握して、更に、何らかの手がかりで移動経路の把握をして、最終、埼玉県(武蔵の国の入間郡)か栃木県(下野国)のどちらかに到達すると思います。

但し、鹿児島県の大口町という所には青木村が存在しました。ここは、清和源氏の宗家源の頼光より4代目の頼政とその息子の頼綱が平家に対して1180年に「以仁王の乱」を起こし失敗します。
この時、この頼政の一族の者が鹿児島に配流の処分となりました。
その後、この者達が平家に向かい地元の平家を襲うと言う事件が起こります。
失敗してこの者達の家族が鹿児島を逃げ延びて大口村にこっそりと住んでいました。
しかし、それでも逃げられないと見て、嵯峨天皇の詔に基づき(皇族系の者は青木氏を名乗る事ができる)その子孫は青木氏を名乗り平家の追及から逃れて定住しました。後に青木村を形成しました。
このルーツの皇族系青木氏が存在します。

御家は下がり藤紋ですので異なります。

そこに元の浄土宗の藤原一族の菩提寺、特に藤原秀郷流青木氏の専属の菩提寺に到達すると思います。

仮に、下がり藤紋の副紋無しでは本家筋の宿命として、それなりの家紋を維持するだけの世継ぎの苦労(遠縁から養子取り等)をしていますので、この国付近に到達するはずです。

しかし、江戸初期から室町期ごろは「下克上」と「戦国時代」で藤原氏秀郷流青木氏は狙い撃ちされて攻撃されていますので、菩提寺は消失している可能性は高い事、又、鎌倉期までは職を失いましたので離散して各地に移動していますので届かない事もあります。

少なくとも、副紋無しの下がり藤紋の家柄と浄土宗ですと、室町末期くらいのとこまでは先ずは届くと見られます。
実は、浄土宗は特定の高位の家柄身分の氏しか入信できませんでした。それだけに浄土宗の寺は特定の地域にしか有りませんでした。

この為に江戸初期の幕府はこの浄土宗を奨励しました。そのためこのお寺は増えましたが、しかし、この時も大名とか家柄の良い御家人に限られていました。

明治初期にも奨励しましたので、一応は各地に増えました。

鹿児島での浄土宗の寺とすると、この明治の時か、江戸初期のときとなり、薩摩藩の藩士とすると後者以前と成ります。そうすると武蔵国の寺になる可能性が出てきます。

他の地方に菩提寺があるとすると、特定の所にしかない宗派の寺ですので、その土地がルーツの土地の可能性と成ります。

ですから、御家は薩摩藩の仕官となっていますので、薩摩藩の時代性から見て江戸初期前後での移動しての仕官と見られます。

過去帳の俗名の名のところに付いている官職名(例えば..右衛門とか)でも藤原氏の官職名は大体は判りますので大方の所は判ります。
例えば、又最も古いご先祖の方の戒名も「院殿」つきの戒名と成っている筈です。
そして、ご先祖の古い墓は男墓と女墓とに分かれ居ます。(高位の家柄は分かれいる)

一度、菩提寺のところから、最も古いご先祖の俗名と戒名をお調べになって又お便りください。
そこから、次の元の菩提寺探しをいたしましよう。

では、またお便りお待ちしています。
No.455
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Re: 福岡の青木さん
青木新二さん 2007/04/29 (日) 10:43 [ メール ]
何時もお世話になっております。
大きな間違いでした!
今回、昭和初期の方にお会いする機会があり、確認した所、家紋は『登り藤』で、お爺さんの先代までが信徒で、お爺さんからは何かの関係で禅宗になっておりました。
また、菩提寺も分かっておりません。
ルーツを辿る事はなかなか難しいですね!また何か分かれば連絡します。
また、良いアドバイスがあれば宜しくお願い致します。あおき
No.457
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Re: 福岡の青木さん
副管理人さん 2007/04/29 (日) 22:09
>何時もお世話になっております。
>大きな間違いでした!
>今回、昭和初期の方にお会いする機会があり、確認した所、家紋は『登り藤』で、お爺さんの先代までが信徒で、お爺さんからは何かの関係で禅宗になっておりました。
>また、菩提寺も分かっておりません。
>ルーツを辿る事はなかなか難しいですね!また何か分かれば連絡します。
>また、良いアドバイスがあれば宜しくお願い致します。あおき
福岡の青木さん 今日は。

さて、家紋が違うとの事ですが、どのような理由で違うとなったのでしょうか。

結論から申しますと、下がり藤紋は本来は藤原氏の家紋でした。しかし、この家紋が「下がり」という意味から嫌い藤原4家はこの家紋使用を嫌いまして、上がり藤紋などの家紋に変更したのです。
藤原氏は全部で97氏に成りますが、この内、藤原秀郷一族9氏だけがこれを使用しています。
この内、藤原秀郷流青木氏は北家で藤原鎌足の直系筋ですので、この綜紋の「下がり藤紋」(副紋使用)を使用しています。

と云う事は、上がり藤紋の一族には青木氏はありません。
下がり藤紋の青木氏は秀郷第3子の千国から発祥し4代目の兼光系から青木氏出ています。
17代目の後には行久系青木氏に成ります。これ以外には116氏の青木氏はありません。

以前にも書きましたが、「藤原秀郷一族の生き方」を一度お読みなってください。詳細がレポートしています。

このことから、今回の情報とあわせると、以前のレポートからもお判りと思いますが、全ての条件が整いません。

そうしますと、後は第3の青木氏と云う事に成ります。
この第3の青木氏には3期に発生しました。
先ず第1期は、室町末期の戦乱の時代に搾取偏纂で伸し上がった者が家柄を脚色するために多くの者が侍になり役職を取る為に青木氏を名乗りました。
第2期は、江戸初期の混乱から安定期になった時点で武士になった者が出世に必要とするので青木氏を搾取偏纂の系譜を作り名乗りました。
第3期は、明治初期に苗字を持たない一般の者が寺に高額の金品を出して系譜を作ってもらい名を役所に提出して名乗りました。
というのも、嵯峨天皇期に青木氏使用の禁令の詔を出していますので、皇族以外の者が青木氏を名乗る事は出来ませんでした。
ですからこの3混乱期にこっそりと名乗ったのです。

ですから、この青木氏は皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏に備わった数種の条件が備わっていません。

ところで上がり藤紋を使用する氏にも一定の条件があります。
特に、この上がり藤紋には25の文様があり、各地の藤原氏で違っています。どの上がり藤紋かお調べになる必要があります。

特に、よく見かける丸付き紋の下がり藤紋や上がり藤紋の藤原氏は一族を名乗る家がありますが、実はこの藤原は元来、副紋方式で使用して家紋を維持してきていますので丸付き紋を使用していません。この様なことで判別がつくのです。
1000年以上男系で副紋なしの綜紋の下がり藤紋を維持してきた青木氏であれば、先祖名と菩提寺と家紋や先祖の室町以前の過去帳の古い年代が明確で、矛盾が少ないのが現実です。それなりの伝来品などをも維持している筈です。
本来、笹竜胆紋や下がり藤紋などのように丸付き紋が無いのに丸付き紋の藤原氏や青木氏を名乗っている氏はこの第3の歴史の新しい青木氏です。

この様に明らかに矛盾をはらんだ第3の藤原氏や青木氏があるのです。この青木氏はルーツや菩提寺にはたどり着けません。賜姓青木氏と藤原青木氏の2つの青木氏には一族だけを祭る浄土宗の菩提寺が本家筋の所には必ずあります。
本来の青木氏や藤原氏よりこの第3の青木氏、特に明治初期の方が多いのです。
本来の青木氏には先祖伝来の菩提寺は確実に把握している筈です。

御家は薩摩藩士とされていますので、上がり藤紋との事ですので、江戸初期の青木氏である可能性が高くなりました。

ただし、何で下がり藤紋の藤原秀郷流青木氏から矛盾のある第3の青木氏の上がり藤紋に成ったのでしょうか。
疑問が残ります。
また、お便りお待ちしています。

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