青木ルーツ掲示板
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  [No.179] Re: 群馬の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/19(Mon) 11:08:03


Re: 群馬の青木です。
青木研究員 さん 2006/06/14 (水) 10:35

武田神社を訪れたとの事ですが、よかつたですね。
ルーツを訪れると何か落ち着く物がありますよね。私も何か不思議な感情がわいてきました。これは多分、遺伝子に組み込まれた感情の原理がその土地についた時に湧き出して不思議な感情にさせるのだと感じました。私は特に家伝の仏像を見たときに頭が真っ白になり身震いする事がおこりました。写真をとる事も忘れてボートと立っていました。

さて、そこでお家の青木氏の姓が家臣団に無かったとの事ですが、当然の結果です。むしろお家の証明になるものです。
つまり、前回等のレポートでも書きましたように、諏訪族は朝廷から「不入不倫の件」を与えられました。よって上位の家柄の諏訪族と諏訪族青木氏には後から来た武田氏は武力でねじ伏せて潰して家来にする事が出来ませんでした。結局、訪族代表の姫を妻に迎えることで決着をつけて土地の全権を握ったのです。そしてこの陸奥から来た武田氏は諏訪族を味方にし血縁した勝頼を産み、その家柄を上げる事ができて、且つ、源氏とも、賜姓青木氏とも血縁を結ぶことが出来たのです。
この様に、諏訪族は武田氏の家来では有りませんし、家柄も武田氏より上です尚の事、諏訪族青木氏は皇族24氏の一つですので更に上位の家柄であったわけです。上位の家柄の者を家来にする事当時では有りません。氏家制度で縛られていましたので。当時の上位の婚姻はこの氏家制度のもとに血縁の純度を守る為にその総宗本家の許可が必要と成ります。
諏訪族側からすると武田氏が諏訪族の姫を求めることは逆の行為でありますので”うん”といわなかったのですが、政治的生き残りから止む無く血縁を結んだ事に成ります。有名な史実です。

その諏訪族のなかの諏訪族青木氏は尚のことです。
しかし、軍事上武田一族の傘下に入る事になりましたが、武田家臣では有りません。今でいう、一種の政治的同盟関係になるのです。
これを当時の言葉で「合力」「与力」という言葉を使います。
そして、武田氏の中では「客員軍師」と言う位置付けになります。
3つの城を持っていた私の家も信長の伊勢永嶋攻めで「客員軍師」として「北畠氏」に合力しました。

その役目は作戦を練るときに参加して意見と延べ協力をするのです。

丁度、信長と家康の関係です。家康は信長の家臣では有りませんでしたよね。
戦いは、武田氏という一つの部族だけでは戦う事ができる程に人数をそろえることは出来ません。全てこの同盟関係のもとに何万という軍を作り上げることが出来るのです。
ですから史実では武田系諏訪族青木氏となっています。武田氏の下の傘下にはいった諏訪族と言うことになるのです。系という漢字はこの意味です。

この諏訪族は大変勇敢で諏訪太鼓を元に家臣団より前でいつも戦い、一度も敗れることがなかったのです。
ですから、徳川氏も最初戦かつて負けたこの諏訪族を後には一団を家臣にしましたが、武田氏の家臣ではないので信長は何も云えなかったのです。武田氏の家臣は殆どつぶされました。
ですから、他の諏訪族青木氏前回のレポートのようにの一族は関東に逃げ延びることも出来たのです。

つまり、家臣団の中に無い事が諏訪族青木氏の証明になるのです。
もし、諏訪族青木氏が武田氏の家臣団の中にあるとすると、お家の青木氏のルーツにありえないことなので疑問が残る事に成ります。

更に一つ証明がすすんだことを意味します。
お家と同族の方が多くこのサイトでお尋ねいただきましたがこれもその一つの証明になる事に成ります。
お家がもし武田氏の家臣団であるとするとサイトの同族の方も同じ事に成りますので、矛盾が生まれます。
一見家来かの様に見えますが、家臣団と言うのは家来の又家来その又家来となつて構成されていますので団なのです。枝葉のように。しかし、辿れば基は一つということに成ります。

しかし、お家はこの一団の中には入っていません。独立した由緒ある一族なのです。
戦国時代を経て現在までその青木氏の名を残しているのはこの家臣団ではなかったからです。家臣団では戦いの後の掃討作戦でことごとく遠慮なく抹殺されます。
兜の紋様に付いては家紋以外のものも多いのですが、この鹿角紋もこの兜紋から来た物です。
しかし、この紋様を使う他の鹿角の一族で青木氏以外の一族も家臣団にはあるはずですが諏訪族青木氏の鹿角紋の青木氏は家臣団には無い筈です。
丁度、このサイトに青木氏以外の四つ又鹿角紋の狩野氏と言う方がルーツのお尋ねがありましたが、この方は武田氏の家臣団の鹿角紋の方です。

諏訪族青木氏は本来は笹竜胆の家紋であるはずですが男系相続が不能になったこのことから諏訪族より養子を迎えて青木氏の家を継ぎ家紋掟により笹竜胆を使用することが出来ずにその養子の時代は鹿角紋を使用していたのです。
この夫婦にまたもや男子が生まれず結局2代目で鹿角紋となってしまったものです。
これ等の家紋認可は総宗本家が認可しますので、勝手に家紋を使うことは出来ませんから2代も女系となつた以上笹竜胆に戻ることは出来ません。
普通は2代目に男子が生まれるとこの子供世代は下の笹竜胆の家紋に戻す事が本家の認可の下に出来ます。
この様に皇族賜姓青木氏でありながらも家紋種が増えてゆくのです。

この様に、歴史には現在と違う氏家制度の中で検証することが必要なのです。

又何かわかりましたらお尋ねください。更に興味を出してルーツ探しにお楽しみください。



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