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  [No.201] Re: 群馬の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 06:37:21

Re: 群馬の青木です。
青木研究員 さん 2006/08/11 (金) 19:57

群馬の青木さん 今日は。

前回のレポートでもあった様に、村全体が庚申思想の元に結束していると言う事はその思想が共通するものである事を意味しています。

お家の一族は神奈川横浜地域と一部お家の一族とかが栃木、群馬方面に移動し定住はした事は史実としてわかって居てます。

よって、お家の地域西南側に近く藤原秀郷流青木氏が116氏からなる宗家筋の青木氏が定住していますが、この一族は綜紋を下がり藤紋とし副紋使用しています。

したがってこの家紋類外の家紋を有している一族で皇族賜姓青木氏の24氏の家紋類を保有している事は史実上諏訪族のみですので間違いなく元は一族です。

武田氏、足利氏、土岐氏の青木氏を含む皇族賜姓青木氏24氏は5家5流の青木氏を元としていますので、中部地方西側に分布しているのが普通です。

関東に存在し同紋を有する武田系諏訪族青木氏はお家の青木氏の一族です。間違いなく証拠として成り立ちます。史実も認めています。

そこで、”どの家が宗家となるのか”という事です。

江戸初期頃に名主や庄屋や郷氏や郷士であつた家である事。
家紋が諏訪族青木氏の家紋か副紋を使用している家である事。
江戸時代でも農家でありながら、家紋と姓と刀の保有を認められている氏である事。
商家でも豪商と言われるくらいの家であつた事。
昔の家の構えが武家門を持ち敷居やかも居が武家構えであった事。

家の間取りも異なっています。
玄関には玄関の間があり、その間の上がり口は約35センチほど高くなっています。其れより更に35センチほど玄関の間は高くなっています。
その隣には控えの間があり、この間より15センチほど一段高くなっている座敷か客座敷の間があります。
掛け軸や飾りのや先祖を示す宝ものなどを飾る床の間は更に一段高くなっています。居間や台所は一段下がっています。
台所の隣には用人部屋があります。
仏間は家の中心の北側に位置して仏殿は一間間口に置かれ、その前には家族が集まる仏間があります。
この様に家一つでも仕来りで武家構えは異なっています。

武家が持つ刀架けや軍配や馬杯や武家肘子、薬箱等がある事。
軍配や馬杯があれば先ず間違いありません。(一団の将が持つもの)

墓所にも皇族賜姓青木氏の家柄の氏は本家筋であると男墓と女墓がありますし、本家筋は墓所の中央にあるはずです。又他に比べて大きいはずです。
又、仏壇も現代は別の宗派でも浄土宗仏壇の構えをしている事。

お盆ですが、そのお盆の迎え方が異なる事。
例えば迎え火や送り火行事を行い、盆のその仕来りの違いやお供えものの違いなど皇族賜姓青木氏の系列の24氏は周囲と違っています。

多分、お家の付近に移動した諏訪族青木氏は元は墓所も同じところにあつた筈です。そして、同紋の家の菩提寺もほぼ同じであるはずです。

農家でも商家でも元武家であり高い家柄である場合はこの条件に合致しています。
違いをのべましたが、現代ではこれだけのものを遺しているとは思えませんが、これ等が出来るだけ多く合う事がなどが要件と成ります。

以上のことを確認してみる事も大事で面白い事です。
多分、他の市の習慣とは共通する違いもあるはずです。

兎も角も、この地で諏訪族青木氏が同紋である事は一族郎党です。

宗家がどこかをべるともつと色々な事が出て来ると考えます。

また、色々とお知らせください。 お待ちしています。



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