青木ルーツ掲示板
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  [No.1051] Re:東京の青木です
     投稿者:福管理人   投稿日:2015/05/08(Fri) 09:21:09

東京の青木さん 今日は。
お久しぶりです。

お便りを読まして頂きました。
そうですか。是非、一度深谷にお参りしてください。

さて、早速ですが、お尋ねの件ですが、先ずお答えから致します。
全く、関係がありません。
それには、次ぎの様な理由がはっきりとあります。

1 この「八坂神社」は「産土神」です。「祖先神]ではありません。

「青木氏が守護神とする神」とは全くその出自が異なります。
研究室に「青木氏の守護神と神明社」の論文にもその根拠が記述していますのでお読みください。
「青木氏」は、「自然神」の系列の主系に所属する「皇祖神の子神」の「祖先神」を「主神」としています。

判り易くする為に簡単に云いますと、奈良期から平安初期頃には主に次ぎの「3つの神格」がありました。


(分類には他説もあるが、判り易くする為に次ぎの様に分類出来ます。)

A「自然神」系列の「皇祖神」−「祖先神」・・皇位の族が守護神とする神格
B「産土神」系列の「祇園社」等・・・・・・・・・・皇位外の族、又は、豪族等が守護神とする神格
C「道祖神」系列の「稲荷社・一般社」等・・・土豪とそれに所属する民等の者が守護神とする神格

以上の三つに分けられました。
(注釈 この三つは「社屋の建立方式」も三様式で異なっています。)

我々の「青木氏」は、「皇族賜姓族五家五流青木氏」でありますから、「自然神の伊勢神宮」に所属する「Aの継承族の主氏」で、且つ、「御師」で「氏上」です。
つまり、「祖先神の族」です。

2 「八坂神社」は元は「祇園神社」です。

イ 明治期の「神仏分離令」に依って改名されたものです。

何故、この様な「神明社」(自然神・皇祖神)の近くに「祇園社」(産土神)が祭祀される事に成ったのかですが、後にある「歴史的な経緯」があって、この様に「合祀状態の事」に成ったのです。
それは、前回にも記述しましたが、「神明社」は室町期末期頃から戦乱でその経営が難しく成り、止む無く対応策として「他の神格」を併呑する事で、”人を集めて”維持して来たのです。
中には、「神格」に「仏格」を「習合」させる事が頻繁に行われました。

然し、明治初期には社会体制が「武士階級の氏家制度の封建社会」から「庶民の自由社会」へと変化しました。

その為に、明治初期の「廃仏毀釈」の破壊運動が起こり、遂には、「神仏分離令」(1868年)と「大教宣布」(1870年)が出されました。
簡単に云えば、この現象が余りに酷かった為に、”「宗教」と云うものを訳解らなくなる事を避ける為にはっきりさせよ”と号令を掛けたのです。
この「深谷の神明社」も例外では無く、且つ、伊勢より遠くに位置する為に「守護神]とする「青木氏の保護」も受けられる事が無く、結局は「合祀・併呑・習合」の経緯を辿りました。
依って、「深谷の神明社」は、他に無い「悠久の歴史」を持つが故に、「祖先神」が「祖先神」で居られたかは別の問題で、大きな遍歴を持っているのです。
当然に、「神明社」で居られたかも同様であって、「お家のルーツの本元の郷」と成る「伊勢の青木氏」に執っては、”遠くに居る親族”を気遣う気持ちでいっぱいでした。

この様に「社の在り方」に「多少の遍歴」はあったものと考えられます。
その一つが、この「八坂神社(祇園社)の合祀」がも知れませんね。
室町期からの”京の祇園精舎の鐘の音・・・”で全国的にも有名を馳せた「八坂神社(祇園社)の影響」を強く受けていた事は否定は出来ません。
然し、お家の「青木氏」に執っては別物です。

ロ その前の江戸初期には、「伊勢青木氏」と「信濃青木氏」は奈良期から建立を始めた500社近くにも成る「神明社系列」を協議の結果、一切を「青木氏」より「徳川氏」に引き渡しました。
この後に、「徳川氏」に成って、その管理が行き渡らずに荒廃し、中には無く成ると云う事も起こる始末でした。
この時にもこの現象が著しく起こったのです。
汎神的な「八坂神社の産土神」と違って、「神明社の祖先神」は独神的な「青木氏だけの守護神」であった事からも、平安期までの社会体制と異なり、「江戸期には氏家制度」は変化して、伊勢青木氏からの保護があったにせよ「生きて行く事」は難しかったと考えられます。
恐らくは、前回の記述でも書きましたが、「柳沢吉保が建立した神明社」も「別の配慮」からもこの事が在って、見兼ねて「伊勢青木氏」に執って代って別に二か所に建立したのではないかとも考えています。
つまり、この時期がこの「深谷の神明社」が最も荒廃していた事も考えられます。
殆どは、この苦しい時期に勢力を各地に「祇園社勢力」を「八坂神社(祇園社)」として拡げていた事もあって、殆どが「八坂神社(祇園社)」に成り得ていた事もあり得ます。
(八坂神社の呼称は明治期の事)
それを「甲斐の青木氏」の吉保がこの地の藩主に成った処で、「青木氏]から引き継いだが荒廃が続く状況を憂いて「江戸幕府の後押し」もあって別に「神明社」を建立した事とも考えられます。
何故、吉保が敢えて「神明社」を建立したかは、確かに彼は「青木氏」ではあったが、筆者の主説はこの説を採っています。

ハ 室町期の戦乱では、戦禍に晒されて「神社仏閣」は、その「戦いの戦略上の拠点」と成りましたので、消失し「荒廃の憂き目」を受けました。
この時、「庶民」たちは、その跡地に今度は「信仰の拠点」として、「祠等」を建立して「他の神格」(産土信仰・道祖信仰・毘沙門信仰・荒神信仰・稲荷信仰)を祭祀して信仰を維持しました。
「甲斐柳沢」の「青木吉保」は、この領民が尊厳し信仰する姿勢を観て、自らも「民の祠」だけで放置せず「幕府の建立許可」を得てでも「正規の神明社信仰」を呼び起こそうとしたと考えられます。
他の国に比べて多すぎる武蔵にこれだけの多くの江戸期の「神明社」(4)、或は「神明神社」(12)がある事がこれらの行為を物語っています。

況して、この悠久の歴史を刻むこの「深谷神明社」は、この武蔵の地域に前回にも記述しました様に、多くの「神明社」も建立されましたので、その経営は大変でしたし、秀郷流一門の中での在籍国で、更には、「柳沢吉保」(青木吉保)の「神明社」もあるのですから、武蔵は武蔵で大変でした。

これらの「多くの信仰体」は関西から発祥していますので、関西は関西でもその存立競争には「相当な財力」が必要でしたので、関東とはまた違った厳しさの現象が起こったのです。
幸いに「関西の近畿圏」では「青木氏の商いの莫大な財力」がありましたので、主な「神明社」は、社寺を建立し管理し修理する職能集団の「青木氏部」と云う者を独自に持っていた為に何とか保てる事が出来ましたが、「分社の神明神社」は残念乍ら同じ様な事が起こり難しかったのです。

「京の八坂神社」や「難波の住吉神社」の様に、この現象は何処でも起こっています。

兎も角も、「神社仏閣」の事を論じる場合には、長い悠久の時間の中で「大きな歴史的遍歴」を受けていますので、これを度外視して判断する事は避けなければなりません。
筆者も青木氏を研究する中で避けて通れなかった位に、これには一つの「宗教歴史論」が出来ているのです。
又、「氏族」の「青木氏の歴史観」は、他姓の「姓族」とは異なり単純閉殻には行きませんので、上記する「歴史的な遍歴」(歴史観)も強く受けています。
依って、以上の「三つの神格の区分け」と「仏格の区分け」をして考えてください。


以上の事は根本的に異なるところですが、3として前回にも記しましたが先ず、根本的にその「時代性」が異なっています。
又、その「祭祀格の氏族」が全く異なっています。
「八坂神社」は論評を避けますが、「祭祀格の姓族」が主格に成っています。
又、その「祭祀方法」も全く異なっています。
「神明社」も「八坂神社」も「神社」であるから”何もかも同じ”と云う事は無いのです。
分けて考えるのが通常です。

「上司の方」が云われている様に、「神社仏閣」に付いては、何処も同じく考える事は間違いなのです。
以上の様にこの経緯からしてもこの事は度外視してください。

先ずは、お便りを読破してご理解いただきます様に。
その中で今回の様にご質問が生まれましたらお便りください。その都度、詳しくご説明します。
「荒神」や「産土神」や「道祖神」等の事に付いても研究室でも詳しく論じていますので、是非お読みください。

最後に、お参りに関しての事ですが、どの様に解釈するかは自由ですが、ただ単に「氏の守護神」と云う事だけでは無く、「お家のルーツ元」であると云う事です。
「ルーツの家」であり、且つ、お家は「神道」なのですから、つまりは、「お家の墓所」になるところなのですよ。
”お墓にお参りに行くのと同じ意味”を宿命的に「お家」には他人と違って持っているのです。
そもそも、”関係ないから、或は、意識しないで”と「他人のお墓」にお参りに行く人はいないと思いますよ。

我々の祖先の「青木氏」は、そもそも、「日本のルーツ」が8000にも成る中で、その中で40にも満たない朝廷が認めた「氏族」で、且つ、その中でも「皇族賜姓族」でありますよ。
そして、お家はその中でも純然とした「柏紋一族の青木氏」です。
「青木氏と云う厳しい慣習」の中で生きて来た数少ない末裔です。
そもそも、「上司の方」の云う判断基準の「姓族」ではありませんよ。

では、又お便りをお待ちしています。



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