青木ルーツ掲示板
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  [No.975] Re:愛媛県南部の青木について
     投稿者:福管理人   投稿日:2014/06/21(Sat) 15:03:03

元青木さん 今日は。
早速のご返事ありがとうございました。

最早、何をか況やですね。
一つの残された疑問も解明しましたね。

菩提寺の宗派の真宗、創建年代、それに宇都宮氏の開基
長曾我部氏に討たれた事等から筆者が持つ資料に一致します。

間違いなく紀州から落ち延びた脩行系の脩種族の秀郷流青木氏である事と、その「左三つ巴の家紋」の疑問も完璧に一致しましたね。
三つ巴の家紋が秀郷一門の6氏の家紋であり西園寺氏の家紋では無かったようですね。
菩提寺の宇都宮氏は全国に大きく分布させた一族であり、この九州豊後に分布した理由も判っています。
更に、筆者に直接お便り頂きました核心に成る情報から、最初にお答えしました6氏の内の一つの流れを組む青木氏である事も一致しました。
この6氏は互いに血縁関係を持っておりました。その系譜の流れも掌握しています。
お家は、明治期の3年の苗字令、8年の督促令の何れかに、絶えた青木氏の代わりに、血筋の受け入た氏名を名乗ったと云う事に成ります。
この事例は秀郷流青木氏が絶えた時に取った良くある事例です。
それは、浄土真宗で判ります。
地方に分布した一族には、秀郷一門の宗派浄土宗が密教であった事から、その流れを組む顕教の浄土真宗に宗派を求めたのです。
上記した、2氏も同じ宗派を他の地で子孫を拡大させた時に採った宗派であるからです。
この事から、元は佐野氏系「・・族」秀郷流青木氏です。「・・氏族」は(匿名)
当然に、宇都宮氏との血縁をも秀郷一門の「関東屋形」として持っている事に成ります。

「藤原兼隆」を除いて完全に問題点は無く成りました。
尚、藤原兼隆の藤原氏は前回にもお答えした通り、あり得ない事で、今回の菩提寺の情報の宇都宮氏と浄土真宗の宗派から絶対に無い事に成ります。
この兼隆の関白右大臣家の藤原一族は、浄土宗です。恐らく、家紋も「上り藤紋」である筈です。
秀郷一門の総紋は「下がり藤紋」です。この家紋は藤原氏では9氏しか使っていません。
従って、お家は、「総紋」を「下り藤門」とし、家紋を「左巴紋」とする一族で「関東屋形族」と呼ばれる青木一族です。場合に依ってはもう一つ副紋として「・・家」と「青木家」との共通する家紋を持っている事もあり得ます。一度お調べに成ってください。
お家は名門中の名門と成りますので、どなたか絶えた青木氏を継承しては如何ですか。
お家の領国の武蔵国の青木氏の菩提寺は「西光寺」と云う浄土宗のお寺が一族の菩提寺に成ります。
現在は、埼玉には戦禍で無く成っているようですが、茨木にはまだ一寺が残っている様です。

>寺としての格が高く、江戸時代にこの地を領有した吉田藩・伊達家(宇和島伊達家の分家)の殿様も、この寺の前を通る時には乗り物を降りなければならなかったが、寺の住職と歴代仲が悪く、降りはするが罵声を残した、という変なお話も聞いたことがあります。

以上の情報からも、良くお家の関係族の立場を物語る事柄です。
一度、本サイトの秀郷流青木氏とその関係族の家柄身分等をお読みに成れば、この事が納得されます。
因みに、徳川家康かその一族の大名と青木氏宗家が在ったとしますと、どちらが土下座すると思いますか。家康です。筆者の家は大正14年まで紀州徳川氏と長い付き合いをしていましたが、会う時は筆者の先祖が上座に座る事に成っていたのです。
徳川氏の方が座るまで頭を下げて置く作法であったと聞かされています。
宇都宮氏でそうであればお家の先祖と宇都宮氏が会うとすればお家が上座に座る事に成ります。

”変な話”では無く、封建社会の中では、当たり前の作法のです。
この情報一つでもルーツの検証は進むのです。
庄屋であったとしていますから、そのような作法が村中でもあったと思いますよ。

ご不明な点がありましたら、ご遠慮なくご質問ください。
では、又お便りください。



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