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青木氏氏 写真館 - 福管理人のカメラの腕が呻る。

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筆捨て松 [2009/03/08(Sun) 13:53]
筆捨て松
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■解説
熊野古道の「筆捨て松」の遺跡

詳細は「青木氏氏 研究室」「鈴木氏発祥地と周辺の環境」参照


藤白神社よりやく2時間ほど登ると、中ほどに平坦で曲がりくねった道が続く。
南は欝蒼とした森に囲まれて、北には「内海の浦」と国立公園の「和歌の浦」が見える眺望の良い所がある。
丁度疲れが出るところである。
ここには、絵師の「巨勢金岡」と少年の絵比べ物語がある。
その地はここである。
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藤白墨2 [2009/03/08(Sun) 13:39]
藤白墨2
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■解説
日本最古の藤白墨2

詳細は「青木氏氏 研究室」「鈴木氏発祥地と周辺の環境」参照

内容は藤白墨1と同じ。(藤白墨1参照)

使用中のもので保存中5個の一つ。

この藤白墨10種の一つで、平安末期から鎌倉初期頃に製作されたものと考えられる。

日本全国、現在これらの現品以上のものは無い筈である。
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千年楠 [2009/03/07(Sat) 23:00]
千年楠
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■解説
熊野古道の第一番神社の楠

詳細は「青木氏氏 研究室」「鈴木氏発祥地と周辺の環境」参照

熊野神社の第一社の藤白神社と鈴木邸のあるところに千年を経た3本の楠の木がある。

熊野古道は神社中央を東から南に貫いている。その入り口にこの楠の大木がある。
5人ほど手を繋いで囲んだ大きさである。
大木の中は人が充分に入れるほどに大空洞に成っている。
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生仏像様 [2009/03/07(Sat) 22:46]
生仏像様
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■解説
全国青木氏の象徴

詳細は「青木氏氏 研究室」「青木氏ステイタス生仏像様」参照

全国青木氏には象徴としては「3つ象徴」があります。
一つはこの「生仏像様」です。
二つは「笹竜胆紋の綜紋」です。
三つは「青木の神木」です。

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藤白神社 [2009/03/07(Sat) 07:20]
藤白神社
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■解説
全国鈴木氏の守護神

詳細は「青木氏氏 研究室」「鈴木氏発祥地と周辺の環境」参照

熊野古道の熊野神社の第1神社です。
熊野古道の基点にあります。
この神社の宮司となった鈴木氏です。
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青木の木 [2009/03/07(Sat) 07:13]
青木の木
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■解説
全国青木氏の発祥木

詳細は「青木氏氏 研究室」の「青木氏綜紋 笹竜胆紋」関係レポート3を参照

大化期647年に中大兄皇子(天智天皇)の第6位皇子の伊勢王として発祥
全国の青木氏の発祥祖でその象徴木です。

この木は当時はその木の持つ性質から「神木」として扱われていました。
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鈴木邸 [2009/03/07(Sat) 06:58]
鈴木邸
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■解説
全国鈴木氏の発祥地

詳細は「青木氏氏 研究室」「鈴木氏発祥地と周辺の環境」参照

この鈴木邸は平安中期の古の熊野古道の基点となる藤白の地にあります。
曲水園のある大きい邸で熊野神社の第一神社の側にあります。
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紫硯石 [2009/03/07(Sat) 06:48]
紫硯石
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■解説
日本最古の紫硯石

詳細は「青木氏氏 研究室」「鈴木氏発祥地と周辺の環境」参照

藤白墨と同様に、この地方では硯に適する石が採れました。
大変硬く色が紫で特に平安の貴族たちに好まれました。
藤白墨と同様に朝廷に納めました。

本品が日本最古の当時のその遺産品です。
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藤白墨1 [2009/03/07(Sat) 06:40]
藤白墨1
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■解説
日本最古の藤白墨1

詳細は「青木氏氏 研究室」「鈴木氏発祥地と周辺の環境」参照

平安中期までは、墨は中国から全て輸入していました。
そこで、後醍醐天皇は役人に命じて全国に墨が生産できる土地を探していましたが、中国製に勝るとも劣らずの良い墨が見つからず、やっと紀州の「敏長炭」で「藤白墨」の製作に成功しました。
朝廷の下で専売品として生産を開始しました。

本品が日本最古の当時のその遺産品です。
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まゆみの花 [2009/03/07(Sat) 06:17]
まゆみの花
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■解説
「まゆみ」の花の拡大写真

木の様子は「青木氏氏 研究室」「鈴木氏発祥地と周辺の環境」のレポート写真を参照。

”まゆみさん”の女性の名前が多いのはこの木と花の持つ性質と趣から来ていると観られます。
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鈴木三郎 [2009/03/07(Sat) 02:47]
鈴木三郎
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■解説
鈴木三郎重家の資料を元にした想像画である。

藤白神社の宮司の日高氏の養子となり鈴木氏を発祥させた。
宮司の日高氏は熊野詣で泊まった天皇や上皇に歌を添えて山から湧き出る冷水を振舞った。
その歌の匠さと水の美味さに感嘆し、宮司に「鈴木姓」を賜姓し、冷水には「紫の水」となずけた。
子供の居ない宮司は近所の氏子の三男を養子として鈴木姓を継いだ。
これが初代の鈴木三郎である。
弟六男は冷水の「亀の井」の名を採って「亀井」を姓として名乗り、兄弟は、熊野神社に庇護(弁慶)を求めて投宿していた義経の家来となり、全国に従う。
南紀日高地方出身の弁慶はこの日高氏の縁者に当る。
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藤白獅子舞 [2009/03/06(Fri) 19:23]
藤白獅子舞
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■解説
藤白獅子舞は藤白神社の奉納舞である。
全国に鈴木三郎重家の末裔鈴木氏が全国的に広まると同時に熊野神社のこの獅子舞は広まった。

むしろ、熊野神社の獅子舞の発祥地とも言える。現在も継承されている。
奉納舞には色々な言伝えがある。
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藤白坂 [2009/03/06(Fri) 19:21]
藤白坂
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■解説
藤白坂である。
藤白神社より1キロ程上った人家から離れた藤白山の入り口付近

詳細は本文参照

熊野神社の「第一の鳥居」熊野神社社領の始まりから、約1キロ程坂を上りそこより「馬の背」という平坦な道を行くと藤白神社に到達する。その神社より紫川を渡り直ぐ坂が始まる。
神社より南100メータほど行くと山が始まる。これが藤白坂である。当時は8尺道(2.5m)であった。
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