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青木氏氏 写真館 - 福管理人のカメラの腕が呻る。

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雑草のフリージャー [2009/04/21(Tue) 10:08]
雑草のフリージャー
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■解説
これは普通の黄色のフリージャーです。

こ黄色の花は卵の黄身の色合いを持つ厚味が感じられる花です。

植木蜂では育てていません。むしろ育てているという言葉は当りません。
庭の雑草の中で雑草として群生して勝手に自由に生きているのです。
それでもその趣は”元気に生きているぞ”と主張しています。

春の太陽に当り真っ黒、いや、まっ黄色になって雑草の中で自由奔放に育ったバイタリティーが感じられます。

昼下がりの下でマクロ限界で撮りました。
元気さを引き出す為にシアンやハレーションを極力抑えて背景も青緑の雑草です。更にフェリャーが働いて黄色傾向を出しています。

アングル性は兎も角も、植木鉢のものよりこの花の趣が出ていると感じますが如何でしょうか。
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庭木とフリージャー [2009/04/21(Tue) 09:47]
庭木とフリージャー
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■解説
このフリージャーは普通の黄色のフリージャーと少し違い、薄い黄色のフリージャーです。

少し趣が違います。
このフリージャーを周囲の景色の中に入れて楽しんでいます。
この薄黄色の花は少し一回り大きくて、花は大きく開きます。黄色の花と違いラッパ状では有りません。茎も長く直立性があります。
それだけに、一つの花でもその趣が感じられる花です。
ただ、薄黄色だけに日差しを長く当てていると弱く白っぽくなってしまいますし、写真性でもシアンが働き白く写る特長を持っています。
そのためには、先ず、背景を青緑の木々か草花を選んで撮る必要があります。
次ぎに花には間接光を当てる事が必要です。
それで取敢えずは写真にした場合は「自然の趣」を出す条件が整います。
そして、最後には周囲の環境との調和でしょう。
そのためには被写界深度のために背景はボケますのでマクロは使いません。
ただは難点はピントが合わせられないところがあります。
殆どはこのフリージャーの花は植木蜂と思いますが、この花は植木鉢ではなく雑草と競い合う自然の中で咲いているので、その趣と生命力感を引き出したいと思います。




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春の庭とつつじ [2009/04/20(Mon) 07:48]
春の庭とつつじ
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■解説
春も今は盛り庭に咲くつつじの花は辺りを明るくしてくれます。

つつじの花は花だけを以って写真にしてもその趣を表現する事は充分ではないのではと思います。
大変多い種類がありますが、どの種類のつつじでも晴れ晴れとした明るさを最大に主張します。
そのためには、春の日差しとその咲いている環境と、そして花があって趣きを最大に表現できるのではありませんか。
春の日差しでも、照り輝く日差しが似合います。
そこで、この条件を選びました。

花葉が群生しているつつじを選ばず、庭木の中に紅一点として咲いているつつじを選びました。つつじの咲いている部分は影にしてシアンとハレーションを避けました。

シリーズで色々な春の花をこの環境の違いでその主張を表現してみたいと思います。
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影紅梅 [2009/04/19(Sun) 09:08]
影紅梅
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■解説
散り行く紅梅を観るとなんとなく侘しく寂しい感じがします。
それまでは冬の中、花も余り無い時期から突然に咲く梅には喜びもひとしおでした。

初春の寒空に香りも高く咲く雅な紅梅から無香で華やかな桜の役者の出番交代かの様に寂しく散り行く様を連想します。

何とかこの趣を表現できないかと挑戦しましたが上手く行きませんでした。
そこで、思いついたのが朝の曇り気味の弱い日差しの時の逆光です。
昼光は写真になりません。
雲間に太陽の光が出た瞬間を捉えました。

暫くこの写真を控えていました。
なんとなくこの写真を観たくないという感じがしませんか。
気がつきました。それは人間の本能的な拒絶反応ではないでしょうか。

咲き誇り雅かであった日々から、寒々として寂しく侘しい散り行く趣を演出しました。

桜の散った今だから持てる印象ではありませんか。

如何でしょうか。
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紫フリージャー [2009/04/18(Sat) 09:53]
紫フリージャー
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■解説
フリージャーには多くの色の種類があります。
このフリージャ−は紫ですが、黄色の印象が強いのか、その趣は直ぐには湧いてきません。
菖蒲の花の感覚で見てしまうのでしょう。

この花は花瓶にいれて牡丹や菖蒲の様に一輪では似合わないですね。
集団で咲いているから何かその印象が沸いてくるという花です。
フリージャーの一輪ざしは見たことがありませんよね。

私の庭には特別に場所を取っている訳では有りませんで雑草の花と同じ程度です。
特にガーデニングの庭ではなく枯れ山水の様な庭ですので、周囲の立派な花群の中で異質です。
庭の片隅でいろいろな色のフリージャーを固めて”それ咲け”程度です。
他の花の添え花ですね。その趣と云うと異集団の中で身を寄せ合って咲いている若干いじらしさです。
白黄紫青赤の中で黄色と紫が同じところで咲いていました。
黄色に較べて紫の花は背が高く花サイズも大きく成ります。
何か周りに意地を張って親子のフリージャーがいじらしく咲いている趣です。

周囲は雑草含みの庭の中ですのでフェリャーは問題ありませんが、うすくらい中では余りに惨めさが浮き出ます。そこで光を当てますがシアンで分解されて白っぽくなり、ハレーションも起します。
ピントも含む撮影条件が整いすぎるといじらしさが出ませんので、余り理屈ぬきで破れかぶれで撮りました。
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影イリス [2009/04/17(Fri) 19:29]
影イリス
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■解説
イリスの写真の趣に加えて、この影イリスでは、青空が突然薄暗くなり、そして開き、その明るい所から趣の姿で女神が現れようとしている一瞬の様を構成しました。

左後ろから光を取り入れて、花と空の間のところの花よりに焦点を合わせると、空の明るさに引かれて花の部分は暗く成ります。
このカメラの現象を利用して一瞬の様を作りました。

何か中央の明るい部分から神が現れる神秘的な感じがしませんか。

イリスと合わせて「組写真」としてのその趣は如何ですか。
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イリス [2009/04/17(Fri) 19:16]
イリス
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■解説
花菖蒲科の一種です。
この種類には沢山の花があります。今回はこの花を撮影しました。

そもそも、イリスとはギリシャ神話の虹(にじ)の女神であり、人間に神の命令をつたえる神です。風と共に現れる神とされています。

日頃見ている花菖蒲の青紫がポピュラーです。
外国の神話の名前が付いているので名から来る印象や趣はやや鈍い所です。

敢えてこの花の趣と云えば、”春の青空の中から突然に現われる颯爽と風のように歩く着飾った淑女”でしょうか。
花の複雑な形、色合い、茎の姿、剣の葉それで居てけばけばしく無い感じがします。

先入観かも知れませんが、真に羽衣をなびかせるながらやってきた大和女神かもしれませんね。
この趣が複雑なので「組写真」で表現します。

そこで、風が吹きそうな自然の木々の中に右の方から光が差し込み、其処から降りてくるようなイメージを構成しました。
色が複合的であるためにフェリャーの工夫は出来ません。この花画面にフェリャーが働き難い色合いの背景を暗めの青緑としました。
そこで自然雑草と此花の印象を対比して外国の名前から日本的印象を引き出す事を狙い菖蒲を撮影しました。

ご覧下さい。

これと合わせて「組み写真」として更にもう一枚の写真の2枚で表現する事を試みました。


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牡丹 [2009/04/15(Wed) 06:44]
牡丹
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■解説
濃紺の牡丹です。

花の大女王と云う感じです。
その容姿端麗、存在感など何をとってもこの花に勝る主張を持つものがないでょう。
その趣は落ち着いた華やかさです。
そして、”観てください”では無く”観なさい”と云う迫力があります。
観る事で人の悩みも消し去り或いは全てを包容する「花力」のようなものを感じるのです。
此花を見る度に何事にも人一番優れ、男勝りで、それでいて母性愛の強い家庭的な私の「スーパーウーマンの母親」を思い出し涙が出ます。
これを書いている今も涙が滲んできます。

どんな春の日差しにも負けない花でフェリャーや色理論など無関係なほど自分の方から逃げていく様な主張です。
春の日差しを右から当てて斜め上から撮影します。
花だけではいやらしさが出ますので牡丹の葉を左に持ってきます。
後ろには強引に犬走りを入れました。何か逆らいたい気持ちでこれでも牡丹の主張は落ちないだろうと。
実は路はフェリャーが働きやすい被写体ですので働かないだろうと思ってのことでもあるのです。如何にこの花の赤が強いかが判るのですが働いていません。
実は、葉を含む牡丹の花は写真姓を観る写真技術の被写体の確認物なのです。

私には毎年咲くこの花木葉に”見事”と云いようが有りません。「趣」を超えています。
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連翹(れんぎょう) [2009/04/14(Tue) 18:23]
連翹(れんぎょう)
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■解説
連翹の花です。

深みの在る黄色い花で15ミリ程度の花が咲きます。
此花は春の日差しに敏感に反応する花です。
木姿は細い枝を放射状に伸び其処に花目をつけます。花目と同時に薄黄緑の若葉を枝先につけます。毎年30センチ程度伸びて放って置くと大変な木に成ります。そこでいつもこの伸びた枝程度を咲き終わると直ぐに剪定します。そうする事で次ぎの歳には多くの花目をつける事ができるのです。若葉と花を同時に楽しめる花木に成ります。
花色は勢いのある黄色ですが、その木の太さは柳の木程度で頼りない木姿です、
この頼りない木姿に咲いた花の趣は花同士が群生して助けあって咲いていると言ういじらしい感じがします。落花するときもいっせいに散る様です。
何か人間のこの世での生きる様を見せ付けられているこの花の様な感傷を持ちます。

花の黄色をより維持してその趣を求めます。
そのために背景を青系統(B)にしたいと思います。
当然、花は小さいのでマクロを使います。
そして、後ろの色合いをぼかして青緑の色合いにします。
そうする事でBの補色反応より黄色の深みを出します。
光を右上から適度に採り元気さを表現します。
光を余り強くすると、シアンが働き黄色が白に近づきます。一部成っています。
薄茶色の木の枝がシアンで白くて茶色が破壊されてマゼンタが出て来ています。
本来ならば枝の色を保護するのですが、背景が薄暗くなるので敢えてフェリャーの影響を示しました。”明るく元気に皆で”の趣を誇張しました。

印象のよく働く花では有りませんが、如何ですか。

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どうだんつつじ [2009/04/14(Tue) 08:48]
どうだんつつじ
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■解説
この真っ白で愛らしい形をした花のつつじは他のつつじよりも先に咲き始めます。

春の日差しを受けて丸い笠のような形をした木姿にいっぱいに咲きます。

この花の持つ趣を表現したいと思います。
形は釣鐘かぼんぼりによく似ています。
未だ現代のように科学文明が進んでいない田舎道を何か行き先を照らしてくれる提灯のようで、”愛らしさと遠き日の子供の頃の思い出”という感じを引き出してくれます。
兄弟で遠くの銭湯から帰る田舎の夜道での思い出と云う感じです。

この柔らかいシアン含みの白さは大変に光の量と強さとフェリャーの影響を受けます。
そこで先ずその光の強さと量を抑えるために朝早く日の出の時間とします。
直射光は避けます。
背景の色はフェリャーを抑えるために薄く暗くし、中間色の背景が出るように位置を慎重に選びます。そして、被写界深度を低く抑えてマクロで後ろをぼかします。
マクロであるので出来るだけ多くの花にピントが来る様に平行な枝ぶりを探します。
花の数が少ないとこの花と枝ぶりの持つ主張力が出ません。
枝を右ら左に通さずに画面内で留めて枝ぶりそのものも見せます。
其処に花だけでは侘しいので新芽の黄緑葉を入れます。
これで、数人の兄弟が並んで薄暗い銭湯からの帰りの夜道を提灯を持って家路に急いでいる姿を連想させます。

「趣」が伝わるでしょうか。





いろは完璧に近い白で若干シアンを含んでいます。


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町と夕焼け [2009/04/14(Tue) 07:11]
町と夕焼け
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■解説
暮れなずむ夕日その中にくっきりと町が出てきます。

夕日を観ると”あー今日は一日無事で終わった”と張り詰めた気持ちが一瞬安らぐ一息のつける一瞬です。

町には今日も大勢の人が蟻のように働きそれをかき消す町の姿が映ります。
これを人類は繰り返して来たのですね。
この夕日の色を見ると、真に色即是空 空即是色を思い知らされ”自分も老いたかぁー”と神妙に成ります。
夕日だけではこの感傷(趣)にはなれないでしょう。
町の全ての色を消す姿がこの趣を呼び起すのでしょう。また、年齢によりこの夕日と町を見る感傷は違うものですね。

さて、この夕日と町の暗闇には写真の色に関する原点が潜んでいます。

町の暗闇を表現して余計な印象を排除します。
別の印象を抑えるために町の視野範囲を余り広く撮りません。日本画の様な構図としました。電線が入っていますが、この電線が在るのと無いのとでは町の表現が弱まり夕日の綺麗さに焦点が移ります。そこで電線の映る撮影角度を選びました。強すぎる感じもしますが、町を同等に意識しました。
(この写真登録ソフトは残念ですがデジタルの低画素数で電線がおかしく成りますが酌量してください。直線部が多い景色撮影には無理が出ます)
黒と赤の階層だけが起こり、夕焼けは光の量と強さとフェリャーの影響が小さく成ります。ただ、撮影速度を小さくします。

人間の穏やかな感傷を生み出す「趣」をもちますが、皆さんは如何ですか。


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桜のフェリャー [2009/04/13(Mon) 07:30]
桜のフェリャー
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■解説
桜の花は朝昼夕と花の感じが違います。

朝日、昼と夕方の写真を添付します。

桜は余りにもポピュラーで最も人気のある花です。

同じカメラ条件で撮影しても春の日差しの採る時間帯でその色合いが異なってきます。

太陽の光に持つYMCとそれを色として見る人間のBGRに対しては補色関係、つまり男と女の関係と同じく相対関係にあります。
これは自然の摂理ですが、太陽が発する光は物質の核分裂によって起こる物質固有の衝撃振動波です。指紋と同じものですね。

補色とはどのような関係があるのかと言う事ですが、例えばある大きい背景がありその前に物があるとしますと、背景をBとしますとその前の物は自分の元の色にYが混じり色変化して人間の目には見えてしまうのです。これをフェリャーが働くと言います。
朝日、昼日、夕日と光の強さは変わりますので、YMCの含んでいる量は異なります。
朝は空気中の水分や塵は少ないので光の透過量は多く成ります。従って衝突して出す色は少ない事に成ります。つまり赤系は透過、紫系が不透過となりますね。夕日はこの逆です。光は昼が一番強いのでYとCが最大に成ります。物質にこのYMCがフェリャーとして大きく働きます。
では、朝日から夕日の写真を観てください。空の色と桜の色が違います。当然その被写体の画面に占める割合でフェリャーの影響度が違う事に成ります
そこで自分が感じた桜の趣を表現するにはどの時間帯が良いのかを決める必要がありますね。(色理論レポートを後日投稿予定)
芸術写真は別として、その前の基礎となる趣写真を撮るにはこの様な原理を知って撮ると綺麗で趣のある写真が撮れる事に本来は成る筈ですね。

では、右は朝、左上は昼、左下は夕方の写真です。これだけ春でも変化するのです。
夏秋冬はその光の量と強さで推して知るべしです。

春のフェリャーの変化の一例をご覧下さい。
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ゆすら梅の木姿 [2009/04/12(Sun) 17:01]
ゆすら梅の木姿
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■解説
この木姿も同じく今度は背景を木にして後ろフェリャーの影響を抑えます。
後ろは古木の梅で左右に椿と竹の笹ですので暗くて一枝の写真と違いマゼンタのフェリャーが働いていません。そして、右から朝の日差しを入れます。
何とか一枝と同じく自然の色合いが出ていますが、朝日を取り込んだ事と一枝の写真とはバックのフェリャーの暗さとで少し色が異なります。
一枝の花写真が自然美になるでしょう。

此花は小さい事と群れて咲くので、その花びらの形を一つ一つ認識する事は印象的にはあまり少なく、全体として薄紫の長い花の柳の群れと云う趣があります。
遠くから観ると紫の花棒が直立していると云う感じです。
元木も太くなりませんので、春に変わった紫の菜花が咲き乱れているという感じです。
全体として大きくなるとこの様な枝が花火を打ち上げたように丸い木姿に成ります。

夢の中で幼女たちが戯れている感じがします

一枝のゆすら梅と較べてその趣は如何ですか。
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ゆすら梅 [2009/04/12(Sun) 13:18]
ゆすら梅
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■解説
このゆすら梅は梅ですが、主に観賞梅ですね。

この梅には1センチ程度の薄いピンク色の透明な丸い実が成ります。
この花をご覧に成って懐かしい思い出を感じた人が居られるでしょう。

昔はこの実がなると田んぼの麦わらで駕籠を自分で編み作ります。そして、この駕籠にこのピンク色の実をいっぱい摘むのです。この味は女性に好まれる味で甘くほのかにすっぱい味がします。見ていても綺麗な実です。この実を食べると昔を思い出します。
花も5ー6ミリ程度の花で極めて微妙な赤紫の透明な透き通る色合いです。
木も大きくなりませんし柳枝ですので摘むのは容易です。

さて、花の色藍が趣の大半を占めるので、この色合いの自然美を出す工夫が必要です。
そこで、背景の色が大きく左右しますので何とか間接光を取り入れ、全体の背景にフェリャーを抑えるものを取り入れます。
この花はマゼンタですので、マゼンタを基調に条件をセットします。
特に、春の直射はYやCが働き自然のマゼンタを保持できませんし、しっとり感と思い出のある甘すっぱい趣を表現出来ません。またCのハレーションを起します。
この場合はそこで用いたのがブロックですが、この薄暗いもので色を保持します。
其処に左右に黄色と緑を取り入れて自然感を醸し出します。
当然にマクロで撮りうしろをぼかします。
多くの花を入れるとマゼンタの色合いが強すぎますので一枝程度とします。
ブロックの上部分にマゼンタのフェリヤーが働く程度にします。
これで自然の色合いが保持出来ました。

特に女性の方には昔の懐かしい思い出が蘇ってきませんか。若い人には甘すっぱい感傷が生まれませんか。
ゆすら梅木姿でより感傷が深まりますので次ぎに登録します。
合わせて観賞ください。
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あけび蔓姿 [2009/04/11(Sat) 20:08]
あけび蔓姿
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■解説
あけびの蔓の姿がどのようなものに成っているのか興味が湧くと思います。

ではその姿をご覧下さい。

この様に一本の支柱にびっしりとかずらが絡んでいます。
そして、沢山の花が咲きびっしりと実が成ります。
実に付いては実りましたらまたご覧に入れます。

このあけびは大昔は始めは食用に中国で開発されたもので日本で野生化したものですが、絶滅し自宅で保存している大変珍しいものです。
食用以外に昔は漢方薬としても使われました。

普通のあけびの大きさより2倍はあります。最大で20センチ程度に成ります。
成育する環境が少なくなった為で食用に改造されたものと成ると尚更、成育環境は難しい事と成ります。
現在、知人の高級料理店に差し上げていますが、最高級の料理に出している様で、一度中味を取り出して寒天に味付けをしたものを加えて、又元のあけびに戻して出すようです。
大変懐かしく喜ばれ幼き頃の話で賑わう様です。

この写真は別の木に巻きついたあけびですが、写真性は別として、懐かしさや珍しさでご覧下さい。

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