■あけび [2009/04/11(Sat) 13:40]
⇒画像拡大
■解説 さて、この花をご存知ですか、最近ではかなり田舎でなくては見られなくなりました。
白あけびの花です。あけびを知っていても花は知らないと云う人が多いのではないでしょうか。普通のあけびは紫色をしていますがこのあけびは真っ白です。 戦後の食糧難の時、幼い頃山に登って採りに行きました。懐かしい思い出でとして感じる人も居られるのではないでしょうか。(庭に保存種)
そうなりますとこの花の趣となるとご覧に成る人によって違うかも知れませんね。 「思い出」と成ると懐かしさが入り込んできているかも知れません。 私のこの花の感じる趣を表現しました。 幼き頃の可憐で爽やかさを感じます。 まゆみの写真の花に似ています。
花は大変小さくて1センチ程度ですのでマクロ限界で採りました。 そして背景の竹の葉をぼかして花に視線が行くようにします。 Yを抑えるために朝日で撮ります。 画面は対角線上に分轄させ右上は緑を左下は空間とします。竹とあけびの葉の緑と空間の白の間に花蔓をセットして花を誇張すると同時に色のフェリャーの影響を抑えます。 中央対角線にあけびの蔓と花をセットとします。 光は直射を避けて左奥横からかすかに入れて、春の日差しのYと直射のCを抑えます 花だけでは物足りませんので、竹に巻きわりついたあけびですが左に竹を入れます。 そして、竹は色理論の色確認出来るサンプルですので自然色が出ている事が確認出来ますし、日本的趣を引き出します。 花は大変微妙な薄赤紫(M)の色合いですので補色のGを背景にフェリャーの影響をなくします。 単純な画面ですが、自然色が出ていますのでその自然美が引き出されています。 また、長く眺めていても落ち着きのある趣を感じます。 写真と云うよりは日本画ですね。自信作です。 (登録ソフトの関係でY補色B0.2が働いています)
では、幼き頃の思い出を想起してゆっくりとご覧下さい。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■乙女椿 [2009/04/10(Fri) 22:19]
⇒画像拡大
■解説 椿の季節ももう終わりに近づきました。
自慢の椿の内残り3つの一つが何とか咲きました。 この椿は未だ老木古木では有りませんので無事に咲いてくれました 環境条件に左右される椿で、特に今年の様に温度が高いと咲きにくい椿です。 侘助のように順応性が高くありませんし、次ぎから次ぎへと咲くと云う性質のものでも有りません。ただ、反面にこの椿は長く木に着いている椿で、寒さには比較的強いのです。 この椿は伊勢椿に似ていますが、花の抱え咲きが違います。 芯の花弁も次第に開いて最終完開します。
少し、ピンクですが、侘助の様な強さと複雑な色合いを感じません。 乙女椿の呼称としてはその趣を感じます。天女の様な乙女でも幼児ではないでしょうか。 未だ、侘助のような美の趣などはなくこれから趣を育てると云う単純に純心無垢な椿という感じがします。 木姿も葉は濃緑ではなくこれから緑になるという風な感じでやや黄緑かかっています。 木姿と花の趣は真に「幼児の乙女」の綺麗さを持つ趣です。 むしろこの花は「天女の趣」です。
さて、これを表現するには背景に先ず気を使いました。 フェリャーが働かないような光と色を狙います。 後ろには他のの木葉や草木もそれの固有の趣をもっていますので純心無垢さを表現する為に一切避けます。 そして、目線を下から上にして、それは天女の如く空を舞いている工夫です。 花を正面にしないで、花の抱き咲きから右から撮り立体的な表現にします。 花はやや右よりにし、左隅には蕾を持ってきて幼児の蕾を誇張します。 光を後ろから取り込み花弁を鮮明にしてピンクの薄さ表現します。 空背色は雲のない曇りのない濃い目の一面の青空を選び無垢さを表現します。 陰影を着けた黄緑葉は天女の衣を表現します。 撮影距離は70センチ限界とします。シャッターは遅くします。
天女のような幼女の純心無垢さの趣を表現しました。
如何ですか。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■色の確認 [2009/04/09(Thu) 10:12]
⇒画像拡大
■解説 パンジーの花です。
この花は特別にその趣を主張していると云うことではありません。
このパンジーは自然の色が出ているかを確かめる為に良く用いられる花なのです。 そこで簡単に色理論を述べて見ます。
ご覧の様に、パンジーの花は白、紫、赤、ピンク、緑、黄色、など色の基準と成る色を含んでいます。 この花で色が正しく表現されているかを見る事のパラメータなのです。 例えばピンクは色の中間色として代表的な色です。 そして、色理論からこのピンクはCCカーブの左に位置します。よって他の色に左右され難い色なのです。 色は補色というものを持っています。つまり、光のY、M、Cに対してB、G、Rの色に変化します。これ等は相対的(裏腹の関係)な関係にあります。 ピンクはこれ等の補色関係の中間にあるのです。 ですから、この色が正しく出ているかを見る事で、自然の色がどれだけ表現されているかを確認する事が出来ます。 自然の色を表現する為にカメラを含む機械類やパソコンのソフトに組み込まれています。 このソフトはその作成者によっていくらか異なります。 一応、基準は世界的に定められていますが、絶対的では有りません。 色と成る中心の設定、色の縦と横の階層のレヘルの設定、CCカーブの設定等により異なります。 更に、これに加えて自然色に付いての人間の好みが働きます。この好みは人種により異なります。西洋人は原色傾向で特に、赤を好みますが、日本人は中間色のマゼンタ傾向を良しとします。何れもが自然色からずれていてもです。自然色からずれていてもNGとしないのです。 人間が目で見た自然の色は大変な色の階層で見ています。しかし、ソフトはそれを無限大に表現できません。色の中心も表現できません。 しかし、より近い自然色に感じた色合いが「趣」を表現しますので、その色をカメラとソフトで表現するには、中間色を捕らえて記憶から確認する必要があるのです。 特に光のYMCを確認する必要があります。 これが一般的にパンジーが良く表現できるのです。もう一つはアスファルトの表面です。 当然白も判断材料です。 では、パンジーと道路の色(敷石)をご覧下さい。 パンジーの色とその階層がかなり自然の色に表現されています。 しかし、ややマゼンタ0.2傾向ですね。これは画像の登録ソフトのずれです。 同じくアスファルト(敷石)の白っぽい部分をご覧下さい。薄い赤紫傾向が出ています。 この二つで自然の色が表現されていない事がわかるのです。 この写真館に登録するまでには、2ー3度この関門を潜ってくる必要があります。 これが写真技術です。芸術的にはわざとずらす事もありますが、写真館ではこの芸術は行いません。自然の「美」と「趣」です。 芸術ではなく、より多くの人にその「美と趣」に感動させるには、自然の「趣」をより正しく多くカメラから表現しようとすると、より色理論を会得する必要があります。
カメラ好き写真好きな貴方、如何ですか。 (後日、本サイト用に「色理論レポート」を登録します)
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■青空とプラモの花 [2009/04/07(Tue) 09:45]
⇒画像拡大
■解説 春の透き通った青空にプラモの花が咲き乱れています。
プラモの山畑は白一色です。そして、その山の空は青そのものの青空です。 何か違和感を感じます。 山は新緑が季節です。其処に雪では無いかと思えるくらいにプラモの白の山肌がくっきりと映えています。この白に何処までも真っ青な青です。 その異質感が何か神秘的な爽快感を感じます。 本当に天より神が降りてきたかの感じさえします。 そして、神さえもは余りに綺麗さにその白花に降臨されたのかも知れません。 プラモの花には趣は有りませんが何故かその白に特異な趣を感じます。
春の朝日の日差しの太陽光が余りにも強いためかプラモの木肌と花群に赤紫の異質な光が輝き出ています。 写真中央部には何か赤紫の光の柱が立ち上っている感じです。 一瞬、”うんー”変だなと思いました。目の錯覚かと思いました。その瞬間、”あっ降臨かな!”と思ったのです。
実は画面に多く占める真青に対するフェリャーが働いたのです。それが花の白と木肌の太陽光の反射の部分に出たのです。 木肌の反射の部分に赤紫のフェリャーが働いています。 大変珍しい現象です。普通の青では出なかったでしょう。 雨上がりの後に適度な温度と空気が澄むと空気中に埃や塵が無く、雨上がりの適度な空気中の水分により、可視光線の400ナノから700ナノの投下量が最大になり、光のある角度から見るとこの春の晴天のこの時期にだけ現象が起こります。 古の昔は空気が澄み自然環境が良いために、めったに起こらないこの現象を神が現世に降りてきたと崇め、降臨柱と呼んでいた様です。 はっきりと起こる場合は薄い赤紫の柱のようなものがでるのです。 虹の一種でしょう。意外に紫が好まれた原因はこの現象からではないでしょうか。
予備知識があったために一瞬アングルと条件を決めてカメラを構えましたが何とか撮れていました。
確かに、青空、プラモの白の輝き、私には、先入観かもしれませんが、神秘的なものを感じますが、皆さんは如何ですか。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■日陰と日々草 [2009/04/06(Mon) 10:02]
⇒画像拡大
■解説 日々草は余り日差しの強い所では繁殖しません。 此花は春の日差しと似合う気がしますが、雑草の中や垣根の木の下などで見かけます。 しかし、その花は日陰の中でも紫の花を咲かせて、”あれーこんな所に花が”と言う風に気を留める目立つ存在です。 紫という花は古代から好まれた色ですが、矢張り此花がそれを物語ります。 華々しいものでは無く、と云って暗い存在を示すものでも有りません。 その中間と言えるのではないでしょうか。だから、古で好まれたのでしょう。 花の咲き方も華々しく咲くのではなく、点々と咲きます。 全て花の大きさ、花の形、花の色合い、咲き方との兼ね合い、全て前に出る性質ではない趣です。
その趣を表現したいと思いました。
雑草の中に咲いたものを選んで、朝日の日差しを木漏れ日にして右上から当るようにします。 花はやや影ぽくします。幹と葉は目立つ物では有りませんのでそれとなしに見せます。 花は3センチ程度ですのでマクロの限界で撮影します。
草むらの虫どもが駆け回る音がしてその何か落ち着いた静けさを感じますし、その中でも花の存在感を感じます。 田舎に生きる者の感性でしょうか。皆さんは如何ですか。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■大城冠椿 [2009/04/04(Sat) 17:58]
⇒画像拡大
■解説 この椿と白拍子椿と比較してください。
同じ白の椿でもこれ程に違います。 白拍子椿は透き通る白で、これは柔白色の椿です。 何れも八重椿ですが、白の趣が違います。
この椿は中型の大きさの椿です。 何れも寒さに弱く、開花して直ぐに撮らないと茶色い斑点が出来て腐食して行きます。 朝の早い時期に開花してしまいます。寒い朝に早起きして観る必要があり、なかなか面倒な椿です。確かに日中の日差しは似合いません。 花の寿命もせいぜい1日で後2日くらいは落下しませんが斑点が出来て観られるものでは有りません。真に”花の命は短きけれ”です。いつの世にも美人薄命ですね。 白の椿は光の吸収が弱い為に元々寒さには弱いのです。 でも、その趣は群生すると、ただ唖然として”綺麗”の一言で”汚れを寄せ付けないほどに一際主張するものがあります。 撮影技法はほぼ同じでやや日差しが斜め上から入っています。
比較してご覧くたさい。 (注意 白は光を反射するので花の渕には太陽光の白がつきます。デジタルでは白の階差がある為に拡大するとソフト上その部分の画像が乱れます。)
後3種の椿がありますが、今年は良い花を咲かせていません。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■白拍子椿 [2009/04/04(Sat) 13:51]
⇒画像拡大
■解説 さて、心癒される椿をご覧に入れます。
この椿は白は白でも透き通る白なのです。 大変に、愛らしく童話に出て来る美少女と云う感じがします。 日本の「白拍子」と言うイメージよりも進んだ趣を感じます。
当然、春の日差しを強く受けるよりも間接光が似合うのではないでしょうか。 直射はYが働くので透明感はなくなります。 しっとりとした感じの趣を表現するにはフェリャーとして周囲の葉の濃緑の影響(M:マゼンタ)を受けます。そこで、低くフラッシュを焚いてフェリャーを抑えます。 強くすると葉の艶に反射してハレーションを起し趣が変わります。 そして、透き通る繊細な品質を出す為にシャツター速度を一段落とします。 花の位置を中央やや下にして目線を花と同じ高さにします。
花びらの後ろの葉が透き通って観えています。 花の白の透明感が出ていますが、”童話の美少女”の趣は如何ですか。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■大王椿の木姿 [2009/04/03(Fri) 17:56]
⇒画像拡大
■解説 大王椿の木姿ですが、ご覧の様に藪椿の様に多くはなく花は少ないでしょう。 そして、更にその花は木と葉で覆い下を向いて保護しています。 植えている所もそのようなところで100年程度も育てています。 これは花が大きい為に乾燥を嫌う木質があるのだと思います。 この白の大椿もありますが、矢張り今年は咲きませんでした。 多分、植えているところが大椿の生息条件に合っていないのだと思います。 この白大椿の周囲に木を植え陰にする努力をしています。 大きいという事はそれ程にリスクがあると云う事でしょう。 ですから、葉は他の椿に較べて黒に近い濃緑で大きく巾が広くそれだけ太陽光線をより吸収し光合成を大きくしなければならないという事でしょう。 突然変異で出来たものを一つの種として育てたものである事から来ているのでしょう。
これ程薄暗いところで咲く花ですので、目立ちませんし、マニアにもあまり、好まれていません。 つまり、大きいというだけで目立たないで主張するところが少ない椿です。 でも椿の花スタイルは私にはいい感じがします。大王椿ですが、何かいじらしい趣を持つのです。 二つの写真を見比べて見て写真性は別として皆さんは如何ですか。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■大八重椿 [2009/04/03(Fri) 07:48]
⇒画像拡大
■解説 この花は椿図鑑には載っていない珍しい椿です。 緋縮緬椿の赤椿に似ていますが、その改造型ではと見ています。 丸みのある花びらの形と葉の形が違います。 花の大きさも一回り大きい形をしています。 白の中型の緋縮緬椿と何か(藪椿系)の掛け合わせでしょう。 抱え咲きの大椿です。自慢の椿ですが、大椿(大王椿)と呼称しています。 花の大きさは何と15センチ以上もあります。 過去には20センチ弱のものを見た事があり、その時はこの木は一輪しか咲きませんでした。 その花の重みで下向きに咲きます。そして、その木には数多く花は咲かずに四五輪づつ咲き続けます。花の大きさの割りには木の枝は細枝です。放物線を描く様に柳のようにしなります。 余り日の当るところは好みません。どの道重いので下に向いていますので春の日差しはあたりません。花にエネルギーが行く為に乾燥に弱いのではと思います。 花の落ちる様は真に”どさー”です。落ちる趣は豪快といえばそうですが、趣は余りありません。しかし、咲いているときは隣の椿を圧倒します。 ”どけーどけー”と叫んでいる「花の大王」という趣です。 しかし、花の色はやや赤に紫が入ったもので落ち着きと静けさを感じます。
如何ですか、兎も角もこの「花の大王」椿をご覧下さい。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■ぼけ [2009/04/02(Thu) 08:15]
⇒画像拡大
■解説 ボケの花には沢山の種類があります。
この「ぼけ」の花は赤の花の持つ主張と異なります。 実に、男性の私には、たおやかでやさしく汚れのない母の純愛を感じます。 このぼけの木の花には色藍があり、白、ピンク、斑入りの花が咲き乱れます。
この花には真紅の花と違い光は似合いません。 春の日差しの光はYを多く含んでいますが、この花に菜種のような写真ではその趣が出ないでしょう。 そこで、光を間接光にして弱くする事が必要です。 そして、フェリャーの働く事を抑える必要がありますので、背景を薄緑にしてぼかしにする事も必要です。 当然にマクロを使います。フラッシュは使いません。 アングルとして、花を中央に持ってくると”これ見よ”と主張が強すぎます。 そこで、花とピントを右の上にセットします。 左では薄緑だけでは目の焦点が右側に行きますので、左側下に花のピントのぼかしたものを持ってきます。ややバランスを撮ります。 そして、中央に枝を配置した構成とします。
これで、余計な感傷を排除して、「たおやかでやさしく汚れのない母の純愛」と「美しく優しい趣」を表現します。
如何でしょうか。同じ赤のボケとは大違いです。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■ボケの木姿 [2009/04/01(Wed) 19:36]
⇒画像拡大
■解説 ボケの花が群生している様です。
余りこの様な生垣は観た事が有りません。 道路沿いに咲いています。それは見事です。 この生垣のはずれに木蓮があります。
木蓮の添え役として此花を用いましたが、この花だけでも充分な自己主張する趣を持っています。
華やかですが、私には”春の山懐にある春の小川で遊んだ小さき頃の懐かしい思い出”が蘇ります。その思い出を一つにすればこの真紅の趣を持っています。 春のうららかな日差しがこの赤を円やかな趣を奏でています。 塀の上には水仙が観えていますが、その水仙の強い香りが引き寄せて、ボケの花も香りは有りませんが何か周囲に香りが漂わせている感じします。
ボケの生垣の後ろのタイル張りの塀の中間色の色が背景になってより赤の色を正しく引き出しています。(CCカーブ左側) 塀を平行にすると赤が平面的に感じ趣が出ません。そこで撮影角度を塀を斜めにして奥行きを出して花群の深みを出しました。 画面の80%を赤にしますと、赤の補色(C)がボケの黄緑の葉や周囲に働きます。 そこで塀(中間色)を背景にする為に右下から上向きで撮影します。 これで上の水仙の白が正しく出ます。その水仙の花と香りのイメージで春をより強調します。
これで、桜の花に負けない春の象徴の花と成ります。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■ボケの赤花と朝日 [2009/04/01(Wed) 08:32]
⇒画像拡大
■解説 真紅のボケの花です。
此花は何と云って朝日に似合う花です。
ご覧下さい。 朝日の間接光がその真紅の色を更に際立たせています。 矢張り赤は日差しが合うのですね。 そこで、色理論で云うと、赤の色(R)に対して補色はシアン(C)の光です。 シアンは太陽の光で最も多く含んでいます。 これも自然の摂理ですね。人間は感覚的にそれを感じ取っているのでしょう。 ただ、シアン(C)を最も多く含む夏の光よりも、黄色(Y)の光を含む春の日差しの方が似合う様です。 シアン(C)は主に冷たさを演出しますが、Yは温かみを演出します。 これは花と云う被写体であるからでしょう。
そこで、直接日差しを避けて間接光でシアンを出来るだけ抑えます。 そして、マクロで被写界深度を利用してバックをぼかし、花の形と云うよりは真紅の色として見せます。其処に光を受けた緑をシアンで透き通る黄緑に見せます。 葉の青緑は暗さを醸し出しますので、光を右斜め上から直接当てます。
そして、中央の花にピントを持ってきます。 左右の花はこれで花の形というよりは色として見せます。 中央と左に枝を一本を入れて、右上の光の方向に白の空間を作り日差しをイメージさせます。 赤を多く画面に入れると、又、華々しい別の赴きを演出してしまいますので避けました。
これで真紅のボケ花と朝日の調和を構成しました。
如何ですか、この様に木蓮の木姿の写真の赤のボケとはその本質の趣が出せたのではと思います。 つまり、木蓮木姿写真の右のボケにはこの間接の趣で脇役として働かせてました。 写真をこのボケの花の本来の趣を感じながら観ると写真全体の趣がより増幅するのではないでしょうか。
そこで、次ぎは脇役であったボケの木姿の本質を展開します。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■木蓮 [2009/03/31(Tue) 21:00]
⇒画像拡大
■解説 木蓮は沢山の種類があります。
普通はラッパ状に咲きますがこの木蓮は花巾は狭く糸状に開きます。
透き通るような白で光に大変良く似合う木蓮です。
木蓮の木姿の写真では、春の朝日はYが少ないのですが、それでも多少Yを引いています。 花だけを拡大する為にマクロで撮りますと、光のYを抑えてその白がはっきりと撮影できます。
透き通るような白が確認出来ます。そして、その光と木蓮の白がマッチングする趣を醸し出しています。 にら花の写真の白とは又別の白の趣を持っています。
先ず、バックを塀の赤紫のタイル色を背景にしてマゼンタ(M)気味に引き込み中間色にします。 中間色でCCカーブをより左にしてフェリャーの影響を抑えます。 そうする事でYを極力抑えます。 そのために光の取り込み量を抑えてマクロで撮影して被写界深度を小さくします。 そして、当然、フラッシュを焚きます。 バックはフラッシュでマゼンタ気味の中間色に近づきます。 その証しに左下の木の枝(補色G)の光の当る部分がマゼンタに引かれています。
アングル写真性は別として、これで実際の木蓮の白が出せましたが、白の趣が出ているでしょうか。
次ぎはボケの花の趣に挑戦します。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■朝日と木蓮 [2009/03/31(Tue) 19:42]
⇒画像拡大
■解説 春の温かい朝の日差しの中、春の花は咲き乱れています。
白木蓮と赤のボケの花が華やかさを競う様に咲き乱れています。
柔らかい朝日、木蓮のこの上ない白、ボケの真紅の花の3つで春の盛りの趣を醸し出しています。 そして、じっとその景色を眺めているとその趣で周囲の騒音さえもかき消されて耳に入ってきません。
日差しは右から取り入れて斜め下から撮影します。 白の木蓮を中心に赤のボケを脇役にします。 赤を中心にすると赤の持つ華々しい趣を強くしますので、右脇に控えます。 左にするとボケに日差しが直接当りますので、赤に日差しのYが働き真紅が変わります。 そうすると、競い合う趣が変わると思いますので、ボケを目の中心の焦点から日差し方向と同じ右斜め上にセットしました。
木蓮の趣とボケの趣の写真を続けて掲載します。ご期待ください。
さて、春を競い合う趣が表現されているでしょうか。 如何ですか。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|
■野生の和蘭 [2009/03/31(Tue) 10:06]
⇒画像拡大
■解説 山に生息する野生の和蘭です。
最近、宅地開発が進み山際まで住宅がせまり生息環境が少なくなりました。 家庭で育てていても余り動かさない事が秘訣です。大変難しい蘭です。 50年前までは何とか発見できましたが、現在では殆ど蘭マニアに育てられているのではないでしょうか。
山間の裾野の谷川に近い余り日の当らない静かな所で、やや湿気がある所に生息します。 周囲には木々が余り無く、温度に晒される所は好まず適度に一定であるところに観られます。 丁度、写真のような雰囲気のところに生息します。 背丈は10センチ程度です。 これは未だ蕾ですが、それでも充分に趣があります。 この蕾から入れると半月以上花は長く咲いています。
ところが、山で根が見つかっても咲かない根と、咲いても条件が合わないとなかなか咲かないものもある気難しい蘭なのです。 洋蘭よりははるかに面倒です。
この和蘭は自慢のもので、山間の生息環境を大きい平鉢に再現させている自作品です。 大きい岩の下がちょろちょろ流れる谷川を再現しています。 保管場所は30年間一定で大きい平らな青石の庭石の凹んだ所に据えています。 其処には雨で水が溜まり、乾燥すると無くなり凹んだ所には塵が溜まり湿する自然の流が出来ています。環境位置が定まると絶対に動かしません。
前の洋蘭写真と比較してください。
如何にも、その風情と赴きは日本的ではありませんか。 じーと静かに耳を清ましてご覧下さい。雨後の谷川の水音と小鳥の鳴き声が聞こえてきます。その中で蘭の家族が何か話しをしている様です。 雨の後の朝に撮影しました。その日本の趣を再現しました。
この写真に 1 POINT + ⇒投票結果はこちら
|