詳細なアドバイスをありがとうございます。
とりあえずネットでの検索はやめ、当家や我が家の情報収集に努めたいと思いますが、なかなか時間も取れず、長期戦になりそうです。
ただ、地元の身内がいくつかの情報を集めてくれましたので、断片的ではありますがご報告します。
1.当家の近所に聞き込んだところ、当家には『紋付と武具(鎧と薙刀らしい)があった。明治期まではあったはず。それは青木姓と共に、吉田伊達藩から認められたものであったと聞いた』そうです。
もちろん、現物は存在しません。残っておれば物証になったのですが。
2.伝承では当家の本家があったとされるのは三間町ですが、その隣町(伝承の場所と地理的には遠くない)である広見町に、かつて通称『青木庄屋』とよばれる庄屋があり、その末裔を名乗る『青木さん』が昭和30年代、近くで学校の先生をされていたそうです。
これはその青木さん本人から聞いた方の情報ですので、伝承の場所の近くに青木さんという庄屋があったことは確実と思われます。
おそらくはまだ血縁の方がいらっしゃると思われますので、お会いできればもう少し詳しいお話が聞ける可能性が出てきました。
ですので、家紋のことなどはあえて今はうかがわず、いつか『答え合わせ』をしていただければ、と思います。
3.これは新しい情報ではないのですが、三間町には『結城家』があり(具体的な年数は確認しておりませんが、かなり古くからのお墓を守っていらっしゃいます)、かつては当地の村長を複数回務めたほど勢いのある家でした。そして明治期から当家と縁組が、これも複数回行われています。
明治に入ってからの話ですので、当家の左三つ巴紋と直接の関係はないと思われますが、副管理人様の文章を読み直していて、あらためて気づきましたのでご報告しておきます。