青木ルーツ掲示板
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  [No.998] Re:愛媛県南部の青木について
     投稿者:福管理人   投稿日:2014/09/05(Fri) 07:22:12

今日は。早速、お便りをお読み頂けましたか。

さて、早速ですが、お便りのお説は、何も偶然ではありません。
ご推測は仰る通りの事です。間違いないと思います。
むしろ、配置関係から、この様にした事を証明しているのです。

この事に付いて、古来より、中国の文化の影響を強く受けいて、その原則論が日本の慣習の中に遺ったのです。
現在も田舎に行くとこの原則に沿って処置している慣習の地域が遺っています。
この”ある原則”が讃岐の中にもあったのです。
筆者も、この四国の青木さんを調べた時期が在りました。
「青木氏の分布と子孫力」と「武田氏系青木氏」の中でも、この原則で四国の分布が出来ている事を論じていて、逆にそれが、証明にも成って居るのです。
つまり、前回の”歴史観”の重要な一つです。明治までこの原則が多く使われました。

つまり、この世の”物事の構成”は、この原則に沿っていると云う論理の論説です。
ですから、古来の事で、ある事象が歴史上で見つかったとすると、先ずこの原則に沿っているかと云う事の検証を行います。

況や、この世の「物事の構成」は、”四ー六の関係”にあるとしています。
中国古来の学問の五行説、又は五行思想で、これを後に日本で発展させた陰陽説と組み合わせて出来た思想で、この中の一つに、更に生活の中に取り入れた古来学問のこの「四ー六説」があります。
日本のみならず、思想元の中国でも、現在でも、この「四と六の関係」を「庶民習慣」の中でも取り入れられています。

大変に難しい説で、簡単に云うと、全ては、四の数によって構成されていて、この四の組み合わせから外れるものは、六の数によって構成されていて、この原則を護る事で物事の処置が上手く行くと云う考え方です。
従って、”五はその中間にあって、何れにも属さず、何れにも属す”と云う考え方をするのです。

今回のお便りも、この原則の中にありますね。
「土佐の青木氏」の配置先と、青木村の関係、阿波青木氏との位置関係、等この原則に沿って出来ています。

研究室の論文にもこの事が記述していますので、注意してお読みください。

因みに、皇族賜姓族は「第六位皇子」が臣下した「青木氏」です。
依って、「第・四位皇子」までは「真人族」として「皇位継承権」が与えられます。
そこで、「第・六位皇子」は「朝臣族」として一階級落としての身分として、「侍」として臣下させます。
つまり、「賜姓・五役」を持った「・三つの発祥源」の「賜姓族」です。
そして、「・・王」と呼ばれる「皇族の皇子」は「第・四世族」までとし、「第・六世族」は「無冠の侍」と成って地方に配置されます。
鎌倉幕府を牛耳った「坂東八平氏」はこの「第六と第七世族」です。
この原則に合わない者は「無位無官の僧侶」となるか、「氏」を構成できない「単なる個人の侍」に成るかの「選択原則]が敷かれます。
ここで、では、”「第五番目」はどの類に含まれるのか”と云う事に成ります。
何れにも属せず、何れにも属する”のですから、”幅のある選択”が働くのです。
この場合は、結局は、その「物事の本質」、例えば、上記の事で云えば、その「皇子の本質」ですから,その”皇子としてのあらゆる意味の「価値評価」即ち、「人時場の要素」の配慮によって決まる。”によって決められます。

現在でも、難しい判断の時には、よく使われているのが、この「第五の位置」に属する物事ですね。
まさに「俳句や和歌」は、この原理原則の貴族の遊びで在ったのです。
五は「中間の意」、七は六を超えた「決まりの意」と成ります。
この「原理原則の言葉の組み合わせ」で「一つの情景」を如何に正しくうまく表現するかと成ります。
この言葉の使い方で、この四を原則としての使い方です。
四では、漢字で一つの意味合いを表現する「四字熟語」が在りますが、これで言葉は完成します。
これらは全て、「四の意味」と、「六の意味」と,「五の意味」の数字の使い方です。
これから明らかに離れた「七の意味」も加えての一つにまとめた情景を表現する文化です。
「文化」ですから、あらゆる民(室町期中期までは貴族を除く者を「百姓」と呼称していた。「農民の百姓」の意味は、「士農工商の身分制度」が定められた時からの呼称と成ります。)に浸透していた思考基準です。

さて、「土佐青木氏、−曽根の讃岐秀郷流青木氏−お家の青木氏」の関係は、「第五の位置」に無く、この「四ー六関係」の関係にある事は、”処置をしなければ成らない何かが在った”から、この関係式の処置を戦略的にしたのです。
この上記の[三つの氏」の周囲には、この関係する「四ー六の関係」の諸事が遺されている筈です。

お家に関する「讃岐秀郷流青木氏」の取った処置は、結局は、「曽根の讃岐秀郷流青木氏」に取った処置と異なっているのは、お家がこの「第五の位置」にあったからなのです。
この「四ー六の関係式の思考基準」から、何らかのパラメータ”を考えだし、”見張り役の郷士・農民”で処置したのです。

恐らくは、「お家の本質」、つまり、「人時場」から考えて、存続させるに値する氏、或は、「郷士」であるかの利点数を「讃岐秀郷流青木氏」が配慮しての答えであった事に成ります。
つまり、この「人時場」の「欠点の点数」が「五」に相当した事に成ります。
「六」であれば、”消滅させる憂き目”を受けていた事に成ります。

歴史の推理に迷った時には、この原則を以て判断します。
つまり、これが”歴史観”の”昔の人の目”で見た判断なのです。
思考基準の基が「現在感覚」とは、この様に根本的にお大きく違っていたのです。

ある歴史を持つ厳しい「脩行系青木氏」の「お家の位置関係」は、この関係式に当てはめれば昔の人の目で見て答えを出す事が出来たのです。
当然に、「曽根の讃岐秀郷流青木氏」の事も、この「思考基準」で「歴史観」と合わせて読み取る事が出来るのです。

「讃岐秀郷流青木氏」は、「曽根の讃岐秀郷流青木氏」をどの様にするかは、これで判るのです。
「讃岐秀郷流青木氏」が指揮する、「曽根の讃岐秀郷青木氏」への処置では、宗家の当主は配流する位置関係が最も思惑に対して都合よく行く配慮をするとすれば、次ぎの様な指揮と成るでしょう。

先ず配流先は、讃岐宗家の位置から、この「四ー六」の成り立つ位置関係の所に定め、更に、これを見張るお家との位置関係からも、この「四ー六」の成り立ち位置関係に置きます。
且つ、最も南域に居た「土佐の武田氏系青木氏」の位置関係も、この「曽根の讃岐秀郷流青木氏」に、この「四ー六」の関係する位置に逼迫して移動させる処置を採る様に命じる筈です。

何処でも良いと云う事では無く、”指揮する者”とは、「他氏との勢力関係」、「曽根の讃岐秀郷流青木氏の動向」、お家の「見張り役の効果」をよりよく示す位置関係、現状の場所関係、等を命じる事に成ります。
これを受けて、「讃岐シンジケート」などがより詳細に、この「四ー六の関係」から決めて行く事に成ります。

そもそも、この場合は、この「四」とは距離にすれば「一里」です。
一里以内に近づけば、より親密に成り過ぎて、見張り効果を落としますし、二里ともなれば遠すぎて「見張りの役」は働きません。
これを一里以内の円内に納める事で、物事は何事に付けても上手く行くのです。
これをより効果的にするには、「直線の位置」に置くことでしょう。
”くの字”の様にすれば、「時間」と云う要素から「見張り効果」は低下します。
この原則に沿って、「場所」は四万十の川の領域、などで決められて行く事に成ります。
”戦略戦術の決定”として、「三つの氏」のそれぞれの位置関係を決めて行きます。
この場合、最も効果的にするには、大きい武力を持たした武装集団の「土佐の武田氏系青木氏」の位置関係を北に上げる事です。
「曽根の讃岐秀郷青木氏」に対する圧力を高められる事に成りますし、それを実行する能力をも持っていますから都合が良かった筈です。
従って、「土佐の武田氏系青木氏」の定住の位置関係が「青木村」を起点にすれば、北に上がり過ぎています。
明らかに、恣意的に上げたものと考えられます。
お家の「見張り役」は「静の四の見張り役」、「土佐の武田氏系青木氏」の「見張り役」は「動の六の見張り役」と戦略的に役割を判断させていたと観られます。

昔から、そもそも「六稲三略」と云う言葉が在ります。
「指揮する者」は、当時、この「四ー六の関係」から構成した「六稲三略の書」を会得しなければならない仕来りでした。
”物事を処置するに、定まった形式がある”とする「指揮要領の事」を描いたものです。
「指揮する者」は、必ず会得しなければならない「四ー六の関係式の心得」です。
江戸期までの「必読書」でした。
描いている言葉の表現が古いですが、その本質の概念は、現在社会にも通用する”「処世要領書」”だと思います。

お家の「見張り役」からの情報で、土佐の「武田氏系青木氏の武力」が北に押し上げれば掃討できますが、これが南に押し下れば掃討は失敗しますし、「土佐の武田氏系青木氏」の「青木村」の方に食い込んできます。
この好ましい戦術とは成りません。
この「六稲三略」から観ると、「土佐の武田氏系青木氏」の位置関係が青木村を起点にして突出し過ぎていて、「四ー六の関係]から好ましい陣形、配置、位置関係では無い事が判ります。
何かの事変に対応した配置関係にあった事が判ります。
北に押し上げて置いて、圧迫し、後は「讃岐シンジケート」に依って、「四ー六の関係式」から時間を掛けて処置する事に成ります。
この時間の間は、「四ー六の関係式」から、何らかの五の「硬軟の戦略」が採られた筈です。
筆者の持つ資料から、実は、「血縁関係」が採られた事を物語っているのです。
主には、それは家紋です。
「土佐武田氏系青木氏」の中に、「松紋の副紋家紋」の一氏が見つかっているのです。
この「松紋の氏」が拡がりを見せていないところから、明らかに「見張り役」としての「動静」を掴む「硬軟の戦略」(六稲三略)で在ったと観られます。
これが、往来や血縁であろうと観られます。
そこで、場合に依っては、問題と成っている「郷土史」にある「合力」も、この範囲にあり、そもそも「郷土史」が云う「合力」とは、この「範囲の事」で在ったのではないかと考えます。
この「三つの氏の位置関係」から、「戦いの合力」とは、「硬軟の戦略」の中の事では無かったかと観ています。
筆者は明らかに「戦いの合力」と「郷土史」は検証を見誤ったと観られます。
この「三つの氏」に挟まれた中で、「曽根の讃岐秀郷流青木氏」の「戦いの合力」は殆ど無理であると観られます。
その「合力」の前に、一里の中では、「見張り役」の土佐の「武田氏系青木氏」に、あっと云う間に潰される筈です。
まして、公家化した「曽根の讃岐秀郷流青木氏」であり、あり得ない「合力シナリオ」です。
仮に在ったとしても、「小競り合い」の中で終わりますし、「合力の調略」を進めて来た他氏も背後に有名を馳せた「赤兜」の「土佐の武田家氏系青木氏の武装集団」が控えているのです。
下手な動きはしない筈で、「調略」そのものがしない事が判ります。


以上ですが、実は、この「四ー六の関係式」での面白い話が歴史上に沢山あります。
例えば”天智天皇が記録で国家の標準時計を作った”とする記録が日本書紀にあり、調査班がそれを調べていると、これが飛鳥で見つかったのです。
この日本最古の「古時計」は、「漏刻」(水時計)と云うのですが、これにはこの「四と六の関係式」で出来ていたのです。
この一定に流れる水を、4段で一定にした御影石の壺に、サイホンを使って最後に溜まる池の水位で時間を定める方式です。
これには「時守」が、時を知らせる仕組みで「標準時計」を作ったのですが、この発見の決め手に成ったのが、この「四―六の関係式」で出来ていた事なのです。
これほどに、当時は何事もこの「四ー六の関係」を「生活の基本思考」と成っていた事例です。

お家のルーツも凄い着眼点に辿り着きましたね。
前回のお答えは、ロマンでも偶然でもないのです。
恣意的な処置の関係にあったのです
これが歴史マニアの歴史観の所以です。

この「一里関係」つまり「四ー六関係」の中に納まっている事の着眼点が大きなお家のロマンを拡げる基に成り、ルーツのロマンを証明する事に成ります。
「四ー六の事」や時計の事も研究室の何処かに描いていますので読んでください。
青木氏でも、「地名地形データ」でも調査しています。
メニューにありますので参照ください。
距離的な詳しい事はメモリー上から記していませんが、紀州におけるお家の事も「青木村」で書いていますので参照してください。
土佐と讃岐と阿波の青木氏の調査で大枠は掴んでいますので、他の論文も参照してください。
四国全体の中でのお家の位置関係が掴めます。
四国でのご先祖の生き様とそのロマンが拡がります。

今回の様な距離的な事は記述していませんが、論文の中での判断事項として「歴史観」としても良く用いています。
”距離の四ー六の関係式”は、”大事な「歴史観」”です。
是非、今後の歴史観として参考にしてください。
何時か、ご先祖の誰かが作られた由来書を、更に、進めてお家が本文の内容も含めて、「脩行系佐野氏族青木氏」の「平成の検証」として「由来書」を作られて、それを「末裔の方」が何時か読まれてロマンを遺されるのも一考かとも思います。


では、また何か判りましたらお便りください。



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