鈴木氏発祥の環境写真 詳細は本文参照 平安の古に使われていた紫硯石-3 紫石の原石である。 この硯石は黒紫である。
勢作中であるのか、少し使用したのかは不明である。 中央部に少し使った跡が観察できるが、あまり使わなかったのではと観られる。 外形がある程度整えられているので使ったものであろう。 ただ、平安のどの程度の人が使用していたかで少し違うのではと考えられる。 写真の1のものとは原型主義とは云え余りに完成度は違うので、貴族ではなく民階級が使用していたとも思えるが、この研究は進んでいないし全く史料文献も無い。 色と原型の違いは趣の好みや値段である事もある。 保存している赤紫と黒紫の硯の違いがどのようなものであったのかも不明である。
平安時代にこの紫石を使って日本最古の藤白墨と共にこの紀州の海南付近で生産されていた。 藤白墨は現在の海南市藤白である。熊野古道の最初の出発点でもある。 熊野大社の社領の入り口であり、その直ぐ阪の上には第一の藤白神社がある。鈴木氏のは称の神社である。
この付近から現在の海南市下津付近までの間で紫の硯石が生産されていた。 現在、この下津町の「方」(かた)と言う地名のところの硯村(すずりむら)と言うところがある。 海南市を始めとしてこの村には今でも硯氏の姓の人が多い。 硯村は、技能職人を一つにまとめた「部制度」のあった平安時代には、朝廷に納めるこの「紫硯石」を作る「硯部」が住んでいたところである。
|