鈴木氏発祥の環境写真 詳細は本文参照 この草花は「むらさき」と云う。 万葉の時代に熊野古道の鈴木邸付近で「紫の水」や「紫硯」「紫川」と名付けられ最も高位で気品高くいい色とされた「紫」の語源に成ったものである。
この草花のその性質とその花の色合いからの語源である。 花の大きさは5ミリ程度できわめて小さい。草も5センチくらいであろう。 この草花は日差しがよく照り、周囲には余り高い雑草が無く、広々とした丘や平原に咲き乱れる。 咲く時期は3月から4月頃までである。 生きるその様は、特長があり決して一草花で一箇所で咲くことはない。必ず群れて咲く性質がある。 その生命力が大変強く踏まれても踏まれても枯れない。次ぎから次へと花が咲く。その元はこの草花の根にあり、極めて細い毛根がびっしりと着いていてその根が隣りの根と絡み合っている。だから、踏まれても軸が折れても生き延びるし、風雨に強く晒されて土が流されても互いに絡みあったまま留まることが出来る。 咲くその様は、群れる事に依って野原一面に群生するために地面がこの花の色で染まってしまったと幻想するくらいに観える。 皆さんが知る蓮華草がその赤紫の花で田畑が染まるが如き様以上に群がって咲くのである。 その花は「空の水色」と「地の水紫」で両方にはさまれて天国の楽園に居るが如き思いがするくらいである。最近、この様な景色は除草剤で枯れ果てた事と住宅化や雑草処理をしなくなりして成育環境が悪化して田舎でさえも殆ど観なくなった。
この様に全く名もない雑草の草花が、”群がって咲き乱れる”水紫の咲く様を観て、奈良期から平安初期に歌に読まれた時、この花の呼び名を、その様から、”群がって咲くあの花”と呼ばれ、何時しか”群”と”咲く”でその花の色を「ムラサキ」と成り、その草花を「むらさき草」と呼ばれる様に成った。
平安時代の心にゆとりのある優雅な心意気が読み取れる。 言葉の語源は、主にその「生活環境や草花の様」を読み取る自然の呼称から変化して生まれている。 「ムラサキ」の語源説には4つほどあるが、殆ど時代性から観て万葉歌が詠まれた時期に位置していて、考証に問題がある。例えば”村に咲く花”とか、”村崎”に咲いているからとか、前後に関連性が乏しく「こじつけ」に近い。
「むらさき」は日本書紀にその天武期に官僚と式服の衣服の定めを施行した時からの話であり、既に色として好まれていた事にもなるので、それ以前に既に「むらさき」の言葉はあった事なる。従って、この「むらさき」は奈良期末か平安初期頃に言葉として出たと考えられる。使われていたのはその前と成るだろう。
「4つ語源説」は、「むらさき」はこの様に「慣用言葉」として扱われて正式に定められた言葉で無かつた事から、しかし、大切な「高位の色」として扱われ万葉歌としてよく歌われている事の為に、後で学者たちの間から「4つの語源説」が生まれたのであろうが、その元となったと考えられる。 同じ咲き方と性質を持つ雑草花として「蓮華草」も「むらさき草」も同じ経路を辿っている。
この写真は30ー50センチ範囲の接写で撮ったものでもこの多くの花が群れている。これが草原一面に一度に咲くのである。
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