青木ルーツ掲示板
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  [No.828] Re:静岡の長嶋です
     投稿者:福管理人   投稿日:2012/01/20(Fri) 11:26:22

>1.『戒名の中の法名でもその人の生き様が読み込まれていますのでお調べください。』
>とのことですが、なぜその文字を使ったかとか調べられる書籍、戒名の付けるための辞典>で良いものがありましたら教えて頂けますか?

>因みに、戒名を下記に示してみました。

> 妻 りわ 戒名:南延如善信女(文化15年−明治31年卒)
>長嶌太吉 戒名:本庭英心信士(?−明治5年卒)
> 不明   戒名:玄少(妙)雲如用禅定尼(?−天保13年卒)
><太吉高祖父の墓石には、右より3名の戒名が刻まれています。>

>長嶋(旧姓杉浦)源吉 戒名:本姓良源信士(弘化元年−大正2年卒)
>  妻(太吉娘) とめ 戒名:春嶺妙旭信女(嘉永2年生−明治32年卒)

>源吉父  戒名:紫金院釋清光淨智居士(?−明治9年卒)
>源吉母  戒名:最勝院釋希有妙昂大姉(?−明治13年卒)


長嶋さん 今日は。

さて、早速ですが、戒名の件ですが、戒名は俗世でのその人の「生き様」を表現したものが彼の世の名前となります。戒名は寺が付けてくれるものですが、檀家寺や菩提寺で「院殿居士」が最高の戒名で「院」が付きその「院」の中に「殿」が付き「居」が付き最後に全員に「士」が付きます。
例えば、源吉さんの父親の戒名は「院」が付いています。「院」はその人の「一つの世界」を築いた事を意味します。俗世で平たく言うとその「生き様」としてどんな職業にしても立場にしても"一つの道を究めた"事を意味します。源吉さんの父親は「紫」と「金」の道や世界を切り開いた事を意味します。
そうすると、この「紫」が持っている語意と成ります。「紫」は最高のその「道の階級」を意味します。
例えば、「紫綬褒章」の文化勲章がありますがその道を極めた人に授ける勲章ですね。
色では最も最高の色を言います。僧侶の袈裟の色では「紫衣」です。
次ぎに「金」です。「金鵄勲章」です。または金メダルです。
この「紫と金」で「地位と名誉」を修得した人ということに成ります。例えば政治家や高級官僚や実業家などであった事を意味しています。
そのような「院」につまり世界に俗世では生きていた事をこの3つの文字から分かります。
次ぎは「殿」の部分ですが「殿」は「院」の中の更に「小単位な世界観」を意味しています。
源吉さんの父親は「殿」がありませんが「殿」の部分には清、光、が書かれています。
これは「院」の内容をより具体的に説明したもので、その「生き様」の成した「地位と名誉」は清く照り輝くものであったとしています。
つまりあくどく「地位と名誉」を獲得したものではなく、つまり「資質剛健」の生き様であったとしています。
次ぎに「浄、智」ですが、その「資質剛健」の生き様は「浄」と言う字は奈良時代の階級の中の上から2番目の階級を意味します。この「浄」は貴族か皇族でも上位に位置するものが授かるもので「大」と「広」に分けられ更にそれぞれを2つに分けられます。
仏教では人として社会に対して「最高の功績」があった人が授かる「尊い字句」の意味合いを持っています。
源吉さんの資質剛健のレベルは最高のレベルであった事を説明しています。そして、「智」はその知能、知識の「智」であって、仏教での「智」は人としての「本来あるべき行い」の語意を持つ字句です。
"人格者(智)であった"と言っています。
このことから源吉さんの父親の寺は菩提寺であった可能性が極めて強い事が伺えます。
「資質剛健」と「浄智」の語の裏意は「立派な武士」であったと言っているのです。
"その武士は上級な「官僚」ではなかったか"と観られます。
つまり、「立場のある家柄」から婿を取った事を意味します。

長嶌太吉 戒名:「本庭英心信士」に付いては普通の戒名ですが菩提寺ではなく檀家寺であった事が判ります。
静岡の地元で昔は「庭」は豪族で奈良期の第7世族の皇族であった「坂東八平氏」の一つの「大庭氏」の事でその流れを汲む事を匂わしている戒名と観ます。
商いから何か関係を持っていたことが考えられますし、この戒名からこの源吉さんの実家との養子縁組に九州から出てきた太吉との間に「何か意味」がある事が分かります。
現在の戒名と違い昔はそのルーツがその人の彼の世のステイタスをも意味させていたのです。戒名にはその事を必ず読み込んでいた慣習がありましたのでそこに着目してもルーツを紐解くことが出来ます。
但しその人の履歴管理をしていた菩提寺と成ります。
太吉さんは詳しくは南九州の菩提寺がなくなっている事になりますからこの「庭」しかありませんね。
英と心はその人の「生き様」または「人となり」を主に表します。「英」の心を持った人言う事になります。
「活発な人」と言うことではないでしょうか。太吉さんの奥さんは"「善」の如くての人であった"「心根のよい人」であった事になると思います。
根笹紋は太吉さんの奥さんの実家先の家紋(大庭氏では?)かも知れませんね。

特に戒名の辞書でなくても広辞苑などからでも分かります。
その「字の語意」と「歴史雑学」と「仏教雑学」を組み合わせればその「周囲にいた人」が理解できる内容にして読み込んでいるのです。源吉さんの実家の本家に辿り着けば「周囲にいた人」の話が聞ける事もありますよ。墓石にこれだけの戒名がありながら家紋がない事から消えているかもしれませんが。外部の者から観てもこれだけの事が判りますからね。
これだけの寺での戒名があるところから観ても家紋もあった筈ですね。

>2.大蔵氏が女系の掟ではなく、長嶋氏を名乗らなければならなかった理由を教えていただけるでしょうか、また、嫡流として大蔵氏を名乗っている末裔も見えられるのでしょうか?

前回でも記述しましたが、大蔵氏が長嶋氏を名乗らなければならない理由は沢山ありますが、多くは部屋住みの者、つまり嗣子の中で嫡子外の者が「別分」がないときに宗道に入る必要がありますが、この時に「別分」があり大蔵氏外の家を興す必要に迫られた時、特に嗣子の中でも妾子の場合は大蔵氏を名乗れるかどうかは宗家の許可が必要になります。分家筋の妾子の場合は「別分」などに不利が多いので母方や養子実家先の縁の氏を実家先に頼んで後見人になってもらい援護を受けて名乗り興す事に成ります。その者が優秀でなければこのチャンスもなくなりますが。
恐らくは元は永嶋氏でその流れの中で長嶋氏-長島氏が発祥した事が判ります。
名乗る以上はその経済的、軍事的に裏づけが必然的に必要ですから大蔵氏から得られなければ実家先からの援助が必要となりますし、その力を借りて周囲を戦いで切り開く必要が出てきます。
いろいろなパターンがありますので一概には言えませんが前回のお答えしましたが、大蔵氏の場合は大蔵氏の九州での戦略的意味合いと永嶋氏の勢力伸張の背景から一族の中での分家筋の跡目の両方が絡んだことであると系譜添書から判ります。何もなければ分家筋では他氏の跡目の口もそうあるわけではないので宗道となるでしょう。宗道から戻ることだってありますからね。
大蔵氏の場合は同族の肝付氏との関係強化も大いにあった事と考えられます。島津氏の伸張からの背景が強かったと考えられます。添書から観ると菊池氏等との関係を同時期に更に行っていますからこの同族固めの背景があったと考えられます。特にこの時期は肝付氏は弱体化していましたからね。


大蔵氏は正常に枝葉を大きく今でも広げています。永嶋氏や長嶋氏や長島氏には大蔵氏を名乗っている事はありません。逆ルートですからね。よほどの事でなくてありませんね。大蔵氏の枝葉は大きいですからのこの中に跡目がなくなる事はありませんでしょうし、名乗る以上は経済的、軍事的な背景が必要になってくる訳だし大蔵氏の枝葉一門が黙っていませんね。
ルーツは1本ではありませんよ 枝葉で広がっているのですからね。永嶋氏、長嶋氏、長島氏でも同じですよ。

杉浦氏の本家から何かつながりが読める事が判りますね。
太吉さんの家紋は前記した根笹紋の2氏かこの大庭氏の根笹紋から来ている事もありますね。
太吉さんの父親か誰かかも知れませんが。
一度調べられたらお便りください。



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