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  [No.906] Re:静岡の長嶋です
     投稿者:長嶋   投稿日:2013/05/12(Sun) 19:10:16

福管理人さん、お応え有り難うございます。
毎日忙しく、仕事をさせて頂かせてもらっています。体力だけはある様で、御先祖様に感謝という所です。

以前、下記の様に出てきた長嶋武右衛門貞国さんですね。

『確かに伊勢長嶋氏の中に長嶋武右衛門貞国なる人物が居ます。
そもそも、 この「・・右衛門」は関東の佐野氏系長嶋氏の世襲名にも多いのです。
実は念入りに調べて行くと、今回次ぎの様な事が判ったのです。
この貞国なる人物が途中を経由して関東武蔵国平方郷に移り住んだとあります。(子孫は現存している)
この者の一族の寛永の頃から続いた戒名には光を読み込んだ人物が5人も居ますし・・右衛門が3人も居ます。
そして幕末の頃の戒名には光以外に緑と林と木を読み込んだ故人は4人居ます。
前半は院殿居士の武士の戒名 江戸末期頃の戒名は武士出身のある程度大店の商人階級の居士です。太吉さんもこの戒名でしたですね。
ところが、幕末の太吉さんの頃の男子の戒名がありません。
安政4年の大姉の女性の戒名だけです。その前の男子は養子の長嶋銀蔵さんと成っています。何か変です。その後明治の中頃以降に飛んでいます。そして明治以降はこの一族は養子が多い事です。
この幕末に跡目の男子が死亡以外に一族から何かの理由で籍を抜いた事を意味し、墓には入れなかった事を意味します。
この貞国と云う者は鹿児島薩摩藩の意を得ての伊勢−静岡−埼玉の移動の遍歴を繰り返したと考えられます。この地域の共通点は「長嶋」と「材木」です。』

この伊勢国長島の長嶋一族で分家初代長嶋武衛門貞国成る者を祖としている未勘一族と当家の長嶋と関連する可能性はあるのかもしれないですね。
肝付(長嶋)兼道→肝付幸之丞兼継(肝付兼樹の養子)→肝付次右衛門兼弘(初代長嶋次右衛門兼弘)→次右衛門兼定→次右衛門兼勝→次右衛門兼忠→次右衛門兼光と続き、兼光の代で嫡子がいなく、長島勘左衛門兼直が養嗣子となり、そして勘左衛門兼直→勘右衛門兼次→勘右衛門兼吉(長嶌太吉)となります。養嗣子の勘左衛門兼直は助貞という名もあるようです。
この『助貞』は気になります。
長嶋次右衛門兼弘は寛永13(1636)年に、長島勘右衛門は文政4(1821)年に鹿児島城下の住居があります。
そこから推測すると養嗣子として入った勘左衛門兼直と長嶋武右衛門貞国との関連はあるのかもしれません。
長嶋武右衛門貞国が、肝付兼樹、兼亮からの系統なのか、当家の次右衛門からの系統なのか分かりませんが…。
また、大蔵氏系長嶋氏と言う事もあるのでしょうか?
大蔵氏系長嶋氏の長嶋種武は菊池氏と血縁を結んでしますし、その他にも大蔵氏と菊池氏の血縁も見受けられます。
九州の長嶋氏で『違い鷹の羽紋』を持つ長嶋氏は菊池氏との血縁の関連からかなと推測し、岐阜、三重などにも『違い鷹の羽紋』の長嶋氏があるので長嶋武右衛門貞国との関連性を推測したのですが。
また、長嶋武右衛門貞国は安土桃山期の方なのでしょうか?それとも江戸初期の方なのでしょうか?

また、上記の数点について教えて下さい。宜しくお願いします。



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