青木ルーツ掲示板
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  [No.845] Re:静岡の長嶋です
     投稿者:福管理人   投稿日:2012/03/19(Mon) 09:48:11

>提供情報
>長嶌太吉:1800初頭(文化?)生妻りわより推測、1872(明治5)年卒
>妻) りわ:1815(文化15)年生(牧野喜平長女)、1898(明治31)年卒
>1841(天保12)年に結婚。りわ26歳。(江戸時代の結婚適齢期14〜17からするとかな>りの晩婚)

>長女)長嶌とめ:1849(嘉永2)年生、1899(明治32)年卒
>養嗣子) 源吉:1844(弘化元)年生(杉浦幾次郎次男)、1914(大正3年)卒
>          →幕末寄合格に(岡崎市史より)
>1870(明治3)年に結婚。源吉26歳、とめ21歳。長嶌→長嶋に変名。母りわ55歳より太>>吉50〜60歳。
>1872(明治5)とめ結婚2年後、太吉亡くなる。
>杉浦幾次郎:1876(明治9)年卒、妻:1880(明治13)年卒

今日は。

早速、お便り頂きました。

さて、今回お便り頂きました情報は前回までの私の推理の範囲に全て入り年代考証は完全に成立します。
恐らくは明治15年頃までのことであると観て情報がその範囲の中に来れば先ず間違いないと考えていましたが完璧です。
幕末から明治かけて戦後処理といいますか維新整理といいますか社会の中には大きな変化が起こりました。維新一揆や社会慣習の変化や幕末整理や契約社会の庶民の手続きや宗教改革や苗字令や督促令やもろもろの事がこの頃を境にして一度に変化します。特に家と云う概念が氏家制度崩壊で大きく変わろうとしている時代ですが未だ武家社会の中ではこの慣習が一辺になくなるのではなく苗字令がきっかけで片方では変革が押し寄せ片方では依然慣習を護ろうとする傾向にありました。
ですから、その一度に立場がなくなった揺れ動く武家社会で密命を持つ太吉さんの2足の草鞋の中ではどの様にすれば良いのか判断に困る状況であった筈です。この範囲での太吉さんと源吉さんとその家族や縁戚関係者の行動があれば前回までの推理が成立する筈と観ていました。
それと源吉さんには男子が居られた様ですね。男系継承できているのですから跡目がなく変紋とする根笹紋の変更は必要無かった事に成りますので、しかし、墓の紋所の問題など情報でも明治3年頃に根笹紋・長嶋氏に変更した事は前回のお答えの事になってしまいます。これも推理が成立しています。
杉浦氏の影響力もまだ充分にあった事等も納得できます。時代考証も維新を中心にして前後20年に全て納まることに成っています。極めて短期間の中で考証されています。

次ぎに薩摩から静岡までの経緯の推理も無理がなくなりますし、今回、お家が推理された内容も全く同意します。その通りだと思いますしそれしかないのではないかと観られます。
お家のご先祖の生き様が手に取るように私には観えて来ます。かなり時代に翻弄されてご苦労されたと見られます。

次ぎに維新戸籍簿に関してですが、先ず「平民」と書かれていましたがこれも今までの推理を実証します。それは江戸時代にご先祖の戸籍をお持ちでありますから武士でありながらも士族と成らずに平民と記されている事は「2足の草鞋」を証明する最もなものです。この時代は多くの商人は殆どが元は武士か「2足の草鞋策」でした。武士では食べてゆけないという事が幕末から維新後に起こっていたからなのです。そこで維新3年の苗字令8年の督促令の時にこの武士の2足の草鞋を採っている家は届けとして平民として届けたのです。「こけら屋」は大変重要な意味を持っています。
それは杉浦家と長嶋家も同じですので、この事も両家が商いで繋がった何よりの証拠に成ります。
これほどに推理が無理・矛盾・疑問なく填まる事はなかなか少ないですね。

次ぎに大蔵氏系薩摩肝付氏族長嶋氏の件ですが、島津氏の表現は採っていませんで薩摩と表現しています。
肝付氏族の長嶋氏は以前回答いたしました様に最終は日向(永嶋氏)と大隈(長嶋氏)と長島(長島氏)の3つの家に分流していますので、この中の大隈地区の肝付氏の地元の長嶋氏である事を意味しています。
肝付氏が島津氏の配下に入り血縁関係を持ちましたので、島津氏族としても問題はないと思いますが、島津氏とするとこの3つの全体をさす事に成りますね。島津氏の配下に入った時代の表現は後期の表現となりますね。

今回のルーツ探求でお家のご先祖の生き様が手に取る様に観えて来ますね。
これもご先祖の供養ですね。丁度お彼岸でもありますからご先祖のお導きかも知れませんね
人として産まれて長嶋氏に縁があって育ち、そして本来あるべき人としての本質の行動を今採られているいるのだと思います。喜怒哀楽に惑わされずに静かな心根に敬服します。

これからも大いに伝統を掘り起こしてください。
その為には平安期中期には元同族であった青木氏サイトはご協力いたします。



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